武藤祐太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2221812 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#Honda硬式野球部及びその前身チームの選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
#埼玉県出身の人物
#1989年生
#存命人物
武藤 祐太(むとう ゆうた、1989年6月14日 – )は、埼玉県入間郡出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
横浜DeNAベイスターズ所属。
実家は米穀店を経営している。
強豪校からの誘いを断り、公立校である飯能南高へ進学。
1年からエースとなりチームを引っ張るも、3年夏は5回戦で敗退し甲子園出場は叶わなかった。
高校卒業後は、Hondaに入団。
2010年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。
中日時代 2013年4月21日 横浜スタジアムにて 2011年は中継ぎで7試合に登板した。
2012年5月27日、ソフトバンク戦(ナゴヤドーム)でリリーフ登板し初勝利を挙げた。
その後もロングリリーフを主として33試合に登板した。
2013年は開幕を一軍で迎えた。
相次ぐリリーフ陣の離脱、不振により岡田俊哉、田島慎二らと共にフル回転の働きでブルペンを支えた。
しかし起用法が安定しなかったこともあり、6月に調子を落として、一度二軍に降格したが8月には復帰し、最終的に自己最多の58試合に登板した。
全体的には、前年と比べると安定感に欠け、制球難で自滅する場面が多かった。
また、甘く入った変化球を痛打されてホームランにされるという場面も目立った。
2014年も開幕で一軍を迎えた。
3月29日の広島東洋カープ戦で初登板したが、1イニングを投げ、3被安打2四球、3失点と結果を出せず、3月31日に即刻一軍登録を抹消された。
4月27日に再び一軍登録されたが、5月10日の広島戦で2イニングを4被安打1四球、3失点の乱調で、翌日の5月11日に再び登録を抹消された。
8月27日に一軍復帰。
復帰後も結果は残せなかったが、9月16日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初先発を果たし、6回を無失点に抑え、初勝利した。
2015年6月9日に交流戦の千葉ロッテマリーンズ戦において救援登板し、球団通算5000勝試合の勝利投手となった。
2016年は二軍ではチーム2位タイの35試合に登板したが、一軍では4試合のみの登板に終わった。
2017年は二軍で28試合の登板で防御率4.40と芳しくなく、一軍での登板がないまま10月3日に球団から来季の契約を結ばないと通告された。
NPBでの現役続行を希望し、11月15日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で開かれた12球団合同トライアウトの参加の申し込みをしたが、当日は欠席した。
2017年11月20日、横浜DeNAベイスターズが元楽天の中川大志とともに武藤の獲得を発表。
11月24日、背番号は「58」と発表された。
2018年は主に敗戦処理として20試合に登板。
4ホールドを記録したが安定感を欠き、防御率は6点台だった。
2019年はビハインドを中心にロングリリーフやセットアッパーなど、リリーフとして幅広い役割をこなした。
成績は31試合の登板で3ホールド・防御率3.32だった。
2020年8月10日の対阪神戦で移籍後初先発を果たす等、ビハインドを中心に計21試合に登板した。
前年の好投とは裏腹に結果を残せず、防御率は自己最低の7点台に終わった。
最速150km/hのストレートと、シュート・スライダー・フォークを駆使する。
中日時代はシュートとスライダーを軸に配球を組み立てていた。
2017年に戦力外になった際、フォークの落差を向上させたことで、DeNAでは投球の幅を広げている。
初記録 その他の記録
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