武隈祥太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1226518 / CC BY SA 3.0
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#北海道旭川工業高等学校出身の人物
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武隈 祥太(たけくま しょうた、1989年11月24日 – )は、北海道上川郡東神楽町出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
埼玉西武ライオンズ所属。
小学5年時に東聖イーグルスで野球を始め、中学では旭川北稜球シニアに所属し、2004年に全国大会出場。
北海道旭川工業高等学校時代は、高校1年生の夏に甲子園に出場しているが登板はしていない。
その際試合前の公式練習で三塁打を打ったと語っている。
しかしながら3年間は甲子園はおろか全道大会のマウンド経験もなく、全国的にはまったく無名の選手であった。
公式戦は8試合に登板し防御率1.23。
2007年5月29日、練習中に人さし指の第1関節部じん帯損傷・第2関節部骨折で全治5週間と診断された。
しかし高圧酸素治療器などを使ったリハビリで回復に努め、チームを旭川地区代表決定戦まで導いた。
6月26日の北海道旭川東栄高等学校戦では、8回で16三振を奪う好投を見せた。
旭川工業高校は、1983年に星野伸之、2002年に鈴木貴志と過去2人の左投手を輩出しており、3人目となる。
2007年10月3日に行われた高校生ドラフト会議で、西武ライオンズから4巡目で指名を受けた。
西武は裏金問題の処分で上位2選手の指名権を剥奪されていたため、実質1巡目での指名となる。
2009年 2009年(2年目)、10月5日に初めて一軍に登録され、10月7日のシーズン最終戦となる北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初登板。
3回を投げ4安打3失点だった。
2010年6月20日の福岡ソフトバンクホークス戦で、リードされている場面で2番手として登板。
その後味方が逆転したことでプロ入り初勝利を挙げた。
プロ初先発をした7月4日の千葉ロッテマリーンズ戦では、投球しようとした際に転倒するアクシデントがあった(記録はボーク)。
2012年、シーズン序盤は敗戦処理・ロングリリーフとして登板していたが成績を残せず、一軍と二軍を行ったり来たりだった。
涌井秀章の抑え転向、平野将光の不調などにより先発投手が手薄になり、7月12日のソフトバンク戦にプロ2回目の先発をする。
8回1アウトの場面で長谷川勇也にヒットを打たれるまでノーヒットピッチングを展開し、通算2勝目・先発登板初勝利を挙げた。
9月19日に手術を受けた。
2013年、開幕を二軍で迎え、4月9日に一軍に昇格。
2014年、5月に一軍登録されると左の中継ぎとして一軍に定着。
左のワンポイントからロングリリーフまで様々な起用に応え、自己最多となる47試合に登板した。
2015年は67試合全てにリリーフ登板、防御率を前年から1点近く下げるなど活躍し、6勝を挙げた。
2016年、ワンポイントやロングリリーフなど様々な起用に応え、1年間一度も抹消されず2年連続で60試合に登板した。
64試合の登板で5勝14ホールドを挙げた。
2017年は主に勝ちパターンへの継投として登板した。
しかし9月6日に左肩の違和感により抹消される。
9月23日に再登録されるもその後の登板は3試合にとどまり、58試合の登板で5勝13ホールドを挙げた。
3年連続60試合登板は達成できなかったが、被安打数は前年の58本から47本に減らし、被本塁打も5本から3本に減らした。
2018年の春季キャンプでは野田昇吾、高橋朋己、小石博孝、ルーキーの齊藤大将と中継ぎ左腕が豊富で、逆に佐野泰雄が前年の故障のリハビリで出遅れ、先発左腕が菊池雄星しかいない状況ということもあり先発転向に挑戦する。
しかし、3月にトレードで先発左腕の榎田大樹を獲得した一方、中継ぎはルーキー齊藤と実績のある大石達也が不調で開幕二軍。
さらには開幕一軍入りをした野田と新外国人のワグナーもオープン戦から不安定な投球が続いていたため、武隈は結局中継ぎで開幕を迎える事となる。
平井克典、増田達至と共に勝ちパターンを期待された高橋が開幕早々に長期離脱、平井と増田以外の中継ぎが不調だった事もあり、去年までの便利屋ではなく8回のセットアッパーを任され、5月24日までで18試合1勝7ホールド防御率1.88と安定した投球を続けていた。
しかし、他の中継ぎ投手の不調もあり、点差が開いていても肩をつくる場面が多く、過去4年で236登板の勤続疲労、昨季終盤の肩の故障や春季キャンプでの不慣れな先発調整の影響もあり、5月26日以降は打ち込まれる…
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