岩手県普代村出身で2024年から東北楽天のアンバサダーに就任した銀次さんが、1月20日、岩手めんこいテレビを訪れ、岩手への思いやアンバサダーとしての抱負をたっぷり語ってくれた。
(聞き手:福永一茂アナウンサー)
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「最初聞いた時『何するの?』って。みんなもそう思っているかもしれないですけど『何するの?アンバサダーって』という感じはありましたね」
新たな肩書きについて当初の率直な感想をこう語る銀次さん。
普代村出身で中学までの間、沿岸で過ごした。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「やんちゃだったと思います、たぶん。普代村って海が近くにあって、自分の中で野球と海しか行ってない感じですね」
その環境が銀次さんにとって大きな意味を持った。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「泳いだり砂浜で走ったり、遊びの中でやってきた。野球は野球で、その2つしかやってこなかったので、それで強い体になったのかなと思います」
盛岡中央高校に進学し、3年の夏の県大会では打率7割5分という驚異的な成績を残した。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「今思うと小学校・中学校でたくさん練習してきたから、高校の時にバッと行ったのかなと思います。小中は本当にやりました。練習量でいったら誰にも負けなかったです」
そして、東北楽天にドラフト3位で入団。
しかし、銀次さんは当初プロの世界に戸惑いを覚えたという。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「入ったときはしんどかったですよ。まずスピードが違って。バットのスイングスピード、足の速さだったり、球の速さだったり。こんなので本当にやっていけるのかなぁというのがありました」
その後も結果が出ない日々が続いた。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「このまま終わるんだろうなと思いました、3年4年ぐらいで。これ無理だなぁと」
そんな銀次さんにとって転機となったのは…。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「震災ですかね、一番は。震災だと思います。東北出身の一人として、自分が動いて行かないと絶対だめだろうと思って。絶対笑顔にしたい、少しでも元気になってほしいというのがあって、こんなんじゃだめだと思ってたくさん練習した」
レギュラーに定着し主力として戦った2013年、楽天は見事日本一に輝いた。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「少しはみんな笑顔になったのかな、元気になったのかなとすごく嬉しくて。その被災地の方々にも『銀次ありがとうね』という言葉を頂いて。いえいえこちらこそありがとう、たくさん応援してくれてありがとう」
その後も活躍を続けた銀次さんだったが、昨シーズン1軍での出場は6試合、ヒットは1本にとどまり現役引退を決断、惜しまれながらユニホームを脱いだ。
2023年11月の引退スピーチはファンの心に深く響いた。
『おかぁ、めちゃくちゃ強い体に生んでくれてありがとう。おとう、小さい頃に家の前でやったキャッチボール、忘れてないからね』
実はあのスピーチは…。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「何をしゃべるかとかは考えてなくて、その時に出てきた言葉をしゃべろうと思っていました。そしたら急にあの言葉が出てきた」
まさか、アドリブだとは思わなかった。
今後、銀次さんは球団のアンバサダーとして東北の野球界を盛り上げていく。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「色々な所に行ってみんなと触れ合ったり野球教室をしたりしながら、野球の楽しさや魅力を伝えていけたらいいなと思う」
最後にメッセージをお願いした。
東北楽天アンバサダー 銀次さん
「選手ではなくなりますけど、これまで以上に岩手県を盛り上げていけるように頑張っていきます。そして夢を与えられる人であり続けます。応援よろしくお願いいたします」