講師 瓜生崇氏(京都教区・滋賀県東近江市・玄照寺住職)
講題 宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要テーマ「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」
日時:2022年5月6日
研修会名称:住職・寺族・門徒会・推進員研修会
会場:済美精舎(真宗大谷派能登教務所)

12 Comments

  1. 有難う御座いました、スッキリと、御聴聞が出来ました、これから、何回も繰り返して、御聴聞したいです、

  2. すごい話ですね、なんかそんな世界がある様な気がします。仏様の世界は、行き場がなくなった人か、生まれながらに仏縁がある人しかわからない様な気がします。そんな世界に行けたら夢です。地獄に行く人間です。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがとうございます。

  3. 南無阿弥陀仏しかできないから南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがとうございます。南無阿弥陀仏。

  4. 親鸞聖人は自己の宗教を布教するために教団を組織化することを躊躇ってきたことを、色んな本で知りましたが、なぜ、現今組織としての教団にそれほど、(統一教会、オウム、・・・)
    執着するのか?。親鸞聖人は、組織化することによって、組織そのものが自己目的となることが、頽落であり、宗教のニヒリズムに陥ってしまうことを、いちばん畏れ、その誤謬を知悉していたから、教団を創らなかったのだ、わたしは思う。地獄に墜ちるなどの脅迫によって金銭の布施という名目で煽ってきたことは、もはや親鸞の教義に反していることが、なぜ、平然と行われているのか。権力と結びつくと、ろくなことはないのだ。親鸞や蓮如というカリスマはもう出てきはしませんよ。

  5. 23:29 えっ?南無阿弥陀仏は生きる意味を与えてくれないの?って思った

  6. なんだそれなら法話を聞く意味なんてないじゃないか(話聞いてない

  7. 私は法然上人の心はわかります。阿弥陀様から見た私達は下の下だと思います。煩悩かたまりです。

Write A Comment