菊池保則, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1186210 / CC BY SA 3.0
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菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 – )は、茨城県久慈郡大子町出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
広島東洋カープ所属。
小学生の時は、ドッジボールの全国大会に出場。
常磐大高校では1年時からベンチ入りし、2006年秋季茨城県大会で準優勝し、関東大会に出場した。
初戦で唐川侑己擁する成田高校と対戦し、相手打線を6安打に抑えるも味方打線の援護なく敗れセンバツ出場を逃した。
3年時にエース兼4番として活躍。
夏の茨城県大会では準決勝の東洋大牛久高校戦では16奪三振で完封勝利を挙げる。
しかし決勝戦で清原大貴擁する常総学院に敗戦、甲子園出場は叶わなかった。
2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目指名を受け、入団。
2008年は登板機会はなかったものの、高卒3投手の中では唯一、一軍登録された。
2009年には二軍で主に中継ぎ登板でフレッシュオールスター前まで13試合を投げる。
チームメイトの石田隆司のフレッシュオールスター辞退の際代理で出場。
試合では途中から登板しウエスタンの主軸から2三振奪うなど1回を投げ無失点。
2010年には9月23日の埼玉西武ライオンズ戦で初登板初先発を果たし、5回2安打2失点の好投で初勝利を挙げた。
2012年、シーズン終盤に一軍昇格、4試合に先発登板し1勝1敗。
二軍では7勝2敗の勝率.778でイースタン・リーグ最高勝率となり、優秀選手にも選ばれた。
秋季キャンプでは監督の星野仙一による若手投手の指定強化選手の5人に選ばれ、キャンプ最終日に行われたスタッフによる投票で翌年のオープン戦の開幕投手の権利が与えられた。
マツダスタジアムにて(2013年) 2013年、オープン戦での好投が認められ開幕一軍入りを果たし4月に先発ローテーションに加わるが、4試合連続でノックアウト。
特に4戦目では一死もとれずに降板するなど結果を残せず、二軍降格こそされなかったものの中継ぎ待機を余儀なくされた。
ローテーションの谷間となった6月2日の中日ドラゴンズ戦(Kスタ宮城)で先発、6回途中を無失点に抑えてシーズン初勝利・本拠地初勝利を挙げた。
2014年、開幕一軍入りは果たせず、その後一軍と二軍を行き来するもリリーフ起用のみであったが、8月17日の千葉ロッテマリーンズ戦(コボスタ宮城)でシーズン初先発し、6回を3安打無四球無失点に抑えて、前年の中日戦以来、約1年2ヶ月ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた。
以降、シーズン終了まで先発ローテを守り、自己最多となる4勝を挙げた。
2015年、4月30日のオリックス・バファローズ戦でシーズン初登板初先発すると、6回無失点の好投でそこから先発ローテーション入りを果たす。
2試合目の登板となった北海道日本ハムファイターズ戦では7回途中8奪三振2失点の好投でシーズン初勝利を上げる。
この年は前年に続き4勝に終わるものの、自身初めてシーズン100イニングを投げた。
2016年、昨年9月から発症していた右肩痛のリハビリで二軍暮らしが続き、8月23日に一軍初登板となった。
続く登板となった8月30日に6回2失点で初勝利を挙げるが、この1勝にとどまり、防御率も5.16に終わった。
5月に同郷の女性と結婚したことも発表した。
楽天時代(2017年3月9日、ロッテ浦和球場にて) 2018年、3試合の登板に留まった。
2018年11月29日に福井優也とのトレードで広島東洋カープに移籍することが発表された。
2019年はシーズンを通して中継ぎとして1軍に帯同し、終盤にはセットアッパーにも起用された。
チーム2番目の58試合に登板、防御率2.80、15ホールドの成績を残した。
愛称は「キクヤス」、「タモツ」など。
最速149km/hのストレートと高速スライダーのコンビネーションを武器とし、投球回に迫る奪三振数を記録する。
特にストレートは投手コーチの佐藤義則から「指にかかった時の球の強さは田中将大以上のものがある」と言われるほどである。
しかしコントロールに問題があり、制球が定まらない日は四死球を連発して自滅してしまうことがある。
また、メンタル面の弱さを指摘されることもある。
広島移籍後からは新たにツーシームを投げることによってストライクゾーンを広く使えるようになり、持ち味…
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