銀次(ぎんじ、本名:赤見内 銀次〈あかみない ぎんじ〉、1988年2月24日 – )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。
プロ1年目の2006年は二軍戦に主に代打で出場した。フェニックスリーグでは打率.433(30打数13安打)を記録し、二軍監督の松井優典から「フェニックスリーグでの一番の収穫は銀次の才能を発掘できたこと」とのコメントをもらう。2007年・2008年は二軍で2年連続で打率3割を記録。2007年のフェニックスリーグでも16安打10打点、チームトップの打率.444を記録した。捕手だけではなく三塁手・外野手としても起用された。2009年は初めて春季キャンプで一軍スタートし、オープン戦の序盤まで一軍に帯同していた。しかし、リードに厳しい監督の野村克也からの評価を得られず、二軍落ちとなった。二軍戦では53試合出場、打率.281(146打数41安打)。同年の秋季キャンプで内野手へコンバートされた。2010年2年連続で春季キャンプ一軍スタートを切ったが、またしても開幕一軍入りはならなかった。二軍では打撃好調で高須洋介の離脱もあり6月29日に初の一軍登録と、その日の試合で初の先発出場を果たす。7月1日のオリックス戦でプロ初安打を放つが、高須の復帰と共に二軍落ち。フレッシュオールスターゲームに選出されるも怪我の影響で辞退した。離脱期間が長く規定打席不足ながら、打率.367と一時はイースタン・リーグ首位打者の座に立ち、飛躍の一年となった。2011年初の開幕一軍入りを果たすも、4月後半に二軍降格。二軍では高打率を維持し打率.345を記録したが、一軍に呼ばれる機会が前年より増えたために規定打席には到達しなかった。しかし例外規定を適用しても、規定打席を満たした打率1位の雄平(ヤクルト)の.330を上回るため、初のイースタン首位打者に輝いた[注 1]。一軍では9月から不振に陥った山崎武司に代わり一塁手としてスタメンで出場する機会が増加。主に6・7番を打ち、10月5日の日本ハム戦(札幌ドーム)ではダルビッシュ有からタイムリーを放ち、プロ初打点を記録。最終的に22試合に出場して打率.222の成績を残した。シーズンオフ、背番号が「33」に変更された。2012年前年続き開幕一軍を果たす。正二塁手だった内村賢介の不振もあり、5月の半ばより二塁手としてレギュラーに定着。前半戦は打順は主に2番で、後半戦からは3番や5番で三塁手での起用が多くなる。6月27日の日本ハム戦(東京ドーム)では多田野数人からプロ初本塁打を放った。シーズンを通して大きく調子を落とすことなく、規定打席に初めて到達し、チームトップの打率.280、チーム2位の121安打を放った。一方で、後述するような守備走塁のミスも見られた。シーズン終了後の11月22日(いい夫婦の日)に5歳年上のメイクアップアーティストの女性と入籍した[3]。契約更改では前年の約3倍となる2200万円でサインした[4]。2013年新加入のケーシー・マギーが三塁手に定着し、一塁手として開幕を迎える。序盤は調子が上がらずスタメン外れることも多く[5]、セ・パ交流戦は普段は指名打者のアンドリュー・ジョーンズがファーストに回るため代打での出場のみになるが、代打で6打数5安打と結果を残し[6]、交流戦明けからは「3番・一塁手」に定着する。7月26日には打率.343となり一時首位打者に浮上[7]。最終的に自身初となる打率3割(.317、リーグ4位)を記録し、楽天初のリーグ優勝に貢献した[8]。私生活では、6月12日に第1子となる長男が誕生した[9][10]。

Write A Comment