小田裕也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3105375 / CC BY SA 3.0
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#九州学院高等学校出身の野球選手
#東洋大学硬式野球部の選手
#日本生命硬式野球部の選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#熊本県出身の人物
#1989年生
#存命人物
小田 裕也(おだ ゆうや、1989年11月4日 – )は、熊本県八代市出身のプロ野球選手(外野手)。
右投左打。
オリックス・バファローズ所属。
地元の小中学校を卒業後、九州学院高校、 東洋大学と進んだ。
大学4年生の時に東都大学野球リーグで春季に外野手のベストナイン、秋季には2季連続のベストナインと首位打者(打率.360)を獲得した。
また、6月に行われた第60回全日本大学野球選手権記念大会の決勝戦・慶應義塾戦で福谷浩司からサヨナラ2点本塁打を放った。
大学では同級生のチームメイトで鈴木大地、藤岡貴裕がいた。
リーグ通算59試合118打数32安打11打点1盗塁、打率.271。
日本生命時代(2014年11月10日) 日本生命では1年目から公式戦に出場。
第83回都市対抗野球大会では中堅手として2試合に出場し、計3打数無安打で、第38回社会人野球日本選手権大会では3試合に出場し、計10打数6安打1本塁打4打点の成績で、大会優秀選手に選ばれた。
この大会の1回戦・JR四国戦で社会人初本塁打を放っている。
2年目の第84回都市対抗野球大会の1回戦では1番・中堅手で先発出場し、4打数無安打で、第39回社会人野球日本選手権大会では2試合に1番・中堅手として出場するも、計7打数無安打だった。
3年目、第85回都市対抗野球大会の1回戦では1番・中堅手で先発出場し、4打数1安打だった。
日本生命では同級生のチームメイトに小林誠司、井上晴哉、吉原正平がいた。
2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズに8巡目で指名され、契約金2,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で合意し、入団。
背番号は50に決まった。
11月に行われた第40回社会人野球日本選手権大会では4試合に9番・中堅手として先発出場し、計14打数5安打1打点だった。
2015年、春季キャンプでA組(一軍)入り。
キャンプ初の対外試合の韓国・KT戦に9番・左翼手で先発出場し、3安打3得点2盗塁を記録した。
開幕は一軍で迎えたが、出場がないまま3月30日に登録を抹消された。
8月5日に出場選手登録され、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦において2番・右翼手でプロ初出場・初先発出場し、プロ初打席は投手への犠打だった。
3回表の第2打席で初安打(右前安打)を放ち、7日の対埼玉西武ライオンズ戦の2回裏には初盗塁(二盗)を記録した。
11日の対福岡ソフトバンクホークス戦では3安打を放って初猛打賞を記録すると、翌12日の対ソフトバンク戦では3回表の第2打席で初本塁打を放った。
2016年、4月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦において同点の10回裏・2死三塁の場面でプロ初のサヨナラ打を放った。
7月28日の対ロッテ戦ではサヨナラ犠飛を放ちシーズン2打点目を記録した。
この時点でシーズンに記録した安打は前述のサヨナラ打のみであり、打点は2つともサヨナラ勝ちをもたらしたものであった。
この年、前年を上回る78試合に出場したが、代走や守備固めでの出場がほとんどで、打席数、安打数、打点、打率など打撃面の成績は前年を下回った。
2017年は、代走や守備固めで43試合に出場するも、打撃成績は17打数1安打に終わり伸び悩んだ。
2018年は、オープン戦で満塁本塁打を放つなど結果を残し開幕一軍を手にすると、交流戦以降は先発での出場が増えた。
守備中に左手首を骨折して一度は離脱するも、最終的に90試合に出場し打率.287、2本塁打、15打点、10盗塁とキャリアハイの成績をマークし、倍増となる2,300万円(推定)で契約を更改した。
2019年は開幕戦でスタメン出場を果たしたが、4月に左ハムストリングス筋損傷で早々に離脱。
目標にしていた100試合出場、20盗塁は達成できなかったが、82試合に出場し打率.206、3本塁打、21打点、9盗塁の成績を残した。
2020年は前年より多い87試合に出場したが、代走や守備固めが主となり打席数は半減。
打率.239、1本塁打、7打点の成績だった。
社会人時代で50メートル走のタイムは5秒9、遠投は120メートル。