秋田にあるベーカリーで伝統として作り継がれているロシア生まれの「黒パン」。そこから見えたのは、“シベリア抑留”の凄惨(せいさん)な記憶でした。
秋田県大館市にあるベーカリー「サンドリヨン」。この店で月に100本売れるという看板商品が、ロシアが発祥地の1つといわれる「黒パン」です。酸味の効いた味わいが特徴で、ロシアの製法で作るのは国内では珍しいといいます。
三代目店主・小笠原光治さん(74)
「長崎からわざわざ、遊びがてら(買いに)来たという人もいらっしゃいますね」
「ウクライナから避難されてきた方たちが『食べたい』と」
今ではロシアの軍事侵攻から逃れてきた人からも注文が入るといいます。
◇◇◇
愛され続ける伝統の味。しかし、そこには繰り返される“戦争の記憶”が深く染み込んでいたのです。
茨城県に住む三村節さん(99)。ここ20年、米は食べず、この黒パンを食べているといいます。
三村節さん
「注文書を見ると1か月に10本。この黒パンはお墓に行くまで食べてます」
そこまでこだわる理由、それは…。
三村節さん
「(シベリアに)11年いる間、これを毎日食べてたんです。どこ行っても、これです。帰ってきてから今度は思い出して食べ始めてしまって」
◇◇◇
第二次世界大戦で敗戦した日本。ソ連軍の捕虜として、およそ58万人がシベリアへ連行されました。冬にはマイナス30℃を超える酷寒の地。凄惨な強制労働が行われ、6万人もの命が失われました。
三村節さん
「住む家もないので、20kgもの重い荷物を背負って歩いて、夜間作業で材木を切り出して、自分の住む家を建てる…そういう生活から始まった」
満州で職に就いていた三村さんは、1944年に戦線へ。翌年、終戦を迎えると、22歳の若さでシベリアに抑留されたのです。
三村節さん
「自分たちはもう日本とは関係がなくなった…と、本当に地獄の思いをしました」
心と体をむしばんだのは、寒さと強制労働だけではありません。
三村節さん
「空腹というのは人間の気持ちを狂わせますからね。人のものを盗んでも食べたい、それから何でも食べられるものは拾って食べる」
気が狂うほどの空腹…次々と死んでいく仲間たち。目前に広がるのは“絶望”でした。
三村節さん
「悲しみで涙が出るとか、そういう雰囲気じゃなかったですよ。もう亡くなったら『そうか亡くなったか』というだけで、本当に極限の状況ですから…」
耐え忍ぶこと11年、転機が訪れました。日ソ停戦交渉により、帰国が決まったのです。その後、自伝を執筆し、黒パンの“重み”をこうつづっていました。
『私たちにとってパンは命に等しい』
命をつないだ黒パン。今では人生の一部として、抑留の記憶をつないでいます。
あれから77年。三村さんの目に映る今のロシアとは…。
三村節さん
「歴史の反省が足りない。許せないというより、信じられん。なんで戦争に訴えるのか。そんなことは世界が抑え込まなきゃいけないと思う」(2022年7月30日放送「news every.」より)
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40 Comments
「抑えこまなきゃいけない。」本当にそう思います。でも1人の狂人のせいでまた世界が戦争になりそうです。抑えこみたい!
意外と地元でびっくり🫢買ってみたいなぁ
韓国に聴かせたいわ
これが本当の強制労働だよ
お前らのはただの就職
分かったら二度とこっち向くな
シベリア抑留、酷い話。ソ連は何でもあり。
日露戦争での日本側の捕虜の扱いは天国。
ロシアを信用できないわ。
シベリア抑留者の方からお聞きしましたが、黒パンは硬くて生きていくために食べたと言っておられました。朝起きたら誰か寒さと疲労と空腹で亡くなっていたと。その方の薄い毛布をそっと頂いたとも。正に捕虜扱いではなかつたと。毎日毎日の強制動労に地獄を見たとも言っておられました。
うちの祖父もシベリアだったけど、雪と黒パンを見ると戦争を思いだし絶望の顔してた。
Rossiyan Histories Of Insane, Madness & Senseless INHUMANITY !!!!! Looks like they never be able to civilize in time forever !! Crazy Mentality !!
月に100本は少ないと思う。
抑留で仕方なく食っていたパンを死ぬまで食いたいとか、色々な人がいますね。
普通は思い出したくもない。
99歳…とてもお若く見えますね。60代の雰囲気さえ感じられます。
サーチュイン遺伝子の活性は飢餓以外でも発動するのでしょうか…
筆舌に尽くし難い地獄を体験されているのにもかかわらず明瞭。凄い。
黒パンはロシアの主食なんですかね、シベリアでは多くの日本の捕虜が亡くなりましたが黒パンは日本人の命を救ってくれました。
11年も抑留生活が続いたなんて……想像を絶します。
頭が上がりません、安らかな余生をお送り下さい。
わしゃ白パンのほうが好きだねぇ
中学の教科書に載ってた「一切れのパン」を思い出した
シベリア/ロシア抑留で死亡率が日本兵は12%でドイツ兵は37%。食糧供給も日本兵への方がずっとマシだった様。自分は当事者じゃ無いから何とも言えないけど、2006年で日本兵が旧ソ連に釈放後居残ったのは600名これ凄い数だと思うしよく日本で言うシベリア抑留の残酷さはどうなったのと思う。
岸田🤭🎭️って、つい最近まで、広島県『日中友好協会の会長』🇨🇳だったとの、報道が散見されますね?愛国心は、あるのでしょうか?
台パン
当方の父、
シベリアから帰国でき
私がいる奇跡✨
今と教育が違うが、
生前の口癖
1、出来るだけ、こちらから
喧嘩を売るな
2、売られた喧嘩は買え
賢者は
【歴史に学び備える💡】
不景気になると戦争
戦争=商売
武器を売った輩は好景気💸
★戦争中も投資は続く
日本は
核放棄させられた
=ウクライナと同じ
★他人事でない💦
更にヤバいのは👇
1、食糧自給率が低い
2、天然資源ない
3、敗戦後から今も
敵国条項、扱いの日本
最後に
当方は無宗教だが、
欧米化🤣でなく偶然か?
墓参りしない家は
トラブル多発や、
家系が途絶える?
子供
生まれない・
生まれても女子だけ・
男子でも“しょうがい”ある
=知人で、意外と多く
驚いた😱
お盆、彼岸でなくても
良いので墓参り
結婚したら両家の墓
1、まず掃除
2、心の中で良いので、
命を繋いでくれた
感謝を伝える💡
1人、欠けていたら
自分達はいない
☆今、生きている奇跡
次の世代へ💡
ソ連時代には志位正二が日本のスパイ活動をしていたね。彼も拘留中に黒パンを食べて生きながらえ、いまの日本の共産党があるのは間違いない。共産党の志位和夫も黒パンに感謝しているだろう
感動した。いや、人は愚かな〜良心かなかったのか?ロシア…戦争おこすわなーウクライナも〜まだ判断力がない子供かな?
4:10
中国にも言ってやりたい
3~4年で日本に帰還に帰って来た人が多いと聞いていましたが、三村節さんは11年も抑留されていたんですね。自分の親族は徴兵前に士官学校で働いていたので他の人より抑留期間が長かったと聞いていましたが、それでも1949年に帰国しました。1946年12月に「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立し、1947年から引き揚げが始まり、1949年末までに大多数が帰国したものと思っていました。
当たり障りが少ない「抑留」って言葉が一般的になってしまったが、相応しくないと思います。「拉致・監禁・強制労働」相当ですね。
数少ない当時の生き残りですね、言葉の一つ一つに重みを感じます。
どうかこれからもお元気で長生きしてください。
現在97歳の父から抑留中の体験談は、朝になると冷たくなっていた同部屋人の遺体を埋葬するにも永久表土で穴すら掘れなかったそうです。
15歳で入社した大連市の満鉄で学んだ経験を活かし、かえって太って帰国したと言ってます。
この動画を見て、黒パンを14斤注文してスライスして3枚だけ食べた
少し酸味がありちょっと癖のある味。でも素朴で美味しい。一枚約100円 高いけど
毎日一枚ずつ食べてシベリア抑留の方々が受けた残酷な日々を想像して、現在私が抱えている困難に打ち克てるよう頑張りたい。平和な時代に生まれたことを感謝して。
この人の長生きの秘訣も詳しく知りたい
この番組でロシア黒パンを知り注文しました。
壮絶な体験はなく、その塗炭の苦しみの中命を繋げた黒パン。
噛み締めるたびに深い味わいです。
贅沢にもレバーペーストを塗って食べています。
国の無策の犠牲になり悔しかったと思います。
これからも黒パンを味わって頂きたいとおもいます。
1人1人の無関心や同調圧力に屈することが如何に危険で取り返しのつかない被害を生み、
誰も責任を取らない事が良くわかる動画でした。
黒パン食べられてるだけまだましだな。
他の人の体験談だと、木の実食べて、排泄物から(木の実は消化されない)木の実をまたとって食べるひともいた
私の祖父もシベリア抑留者でした。
観るのが辛いです。
憎らしくはないのだろうか、この精神力だから生き延びられたんだろう。脱帽。
空腹は人間の心を狂わせる。
あの映画を見て気になってましたが売ってる人がいたのですね
いつか食べてみたいです
シベリア抑留最長の11年間を経験されたご本人から言葉を聞けることに深く感謝しています。
歴史の反省が足りない…
重い言葉。
ロシアになってソ連の時と同じ事をしてる。
”世界中が抑え込まなくてはいけない”。ジンとくる言葉でした。日本政府や立憲は ウクライナを積極的に応援して欲しい。
「ラーゲリより愛を込めて」に出てきたやつか、、
11年もいたのか!!想像できない
ラーゲリより愛を込めてで出てきた人の中に三村さんがいたんだようか、、
騙されて連れて行かれた。歴史を学んでいればロシア人を信じることはなかったろうに
ラーゲリから来た遺書を読むと、ザラザラした舌触りで独特な酸っぱさで異様に感じた〜みたいな表現だったけど、
現代の清潔で安全で安心に食べられる環境だときっと美味しいのかなあ。食べてみようかなあ!
発酵食品だから米よりいいのかもなあ