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ビシエド選手の活躍をプロスピAとともに振り返っていきます🙌
応援歌も楽しみながらご覧ください👏

NPB入団前の経歴

キューバ時代
キューバでは同世代リーグでの圧倒的な成績
(打率.405・5本塁打・18打点・14盗塁)を携え、
2004-2005シーズンに15歳で国内リーグ
“セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル”デビュー。
2007-2008シーズンまで
ナランハス・デ・ビジャ・クララに所属していた。
AA世代(15歳前後)の国際大会出場の頃から注目を集め始め、
昔のオマール・リナレスと比較されるようになった。
同世代のジュニアナショナルチームの中では遊撃手であったが、
三塁手と外野手を掛け持ちで務めて出場した。
2006年の第1回WBCの一次候補にも挙がるなど順調であった。
2006-2007シーズンにおいては
90試合で打率.252・8本塁打・OPS.776と前のシーズンより下げ、
不振に苦しんだ。

ホワイトソックス時代
2008年5月にいかだに乗ってキューバから亡命し、
アメリカ合衆国のフロリダ半島に上陸した後、
ドミニカ共和国で居住権を確立した。
同年12月12日に同じくキューバ出身の亡命選手である
ホセ・コントレラス、アレクセイ・ラミレス
が所属しているMLBのシカゴ・ホワイトソックスと
4年総額1000万ドルで契約を結び、入団した。
2009年7月
オールスター・フューチャーズゲームの世界選抜に選ばれた。
2010年6月20日
ワシントン・ナショナルズ戦で21歳にしてメジャーデビュー。
2011年はAAA級シャーロット・ナイツで119試合に出場し、
打率.296・20本塁打・OPS.856を記録。
AAA級のオールスターゲームにも選ばれた。
8月26日にカルロス・クエンティンが故障者リスト入りしたため
メジャーへ昇格。
この年は29試合に出場し、1本塁打6打点1盗塁、打率.255だった。
2012年はホワイトソックスの正左翼手として147試合に出場し、
打率.255・25本塁打・78打点・OPS.744を記録した。
2013年2月22日に1年契約に合意。
4月半ばには脇腹痛により、約3週間DL入りした。
この年も正左翼手として124試合に出場したが長打力は影を潜め、
打率.265・14本塁打・56打点という成績に終わり、
本塁打が10本以上減少した。
守備力も低く、左翼を109試合で守って5失策
守備率.970・DRS – 5という内容だった。
2014年1月13日にホワイトソックスと280万ドルの1年契約に合意。
この年は中堅手であるアダム・イートンの活躍により、
アレハンドロ・デアザが左翼の守備に就くことが多くなり、
ビシエドは左翼手と右翼手を兼任することとなった。
145試合に出場し、打率.231・21本塁打・58打点だった。
本塁打数は2年ぶりに20本台に戻したが、
代償として打率を大きく下げた。
2015年1月12日にホワイトソックスと440万ドルの1年契約に合意した。しかし、1月28日に戦力外となり、2月4日に解雇された。

ホワイトソックス退団後
2015年3月1日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだが、31日に解雇となる。
6月11日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結ぶが、
7月30日に自由契約となる。
8月1日にホワイトソックスとマイナー契約を結ぶが、
オフに自由契約となり、FAとなる。
結局、2015年はマイナーリーグの2球団
(AAA級ナッシュビル・サウンズとAAA級シャーロット・ナイツ)
で計66試合に出場、打率.287・8本塁打だった。

2015年12月1日、中日ドラゴンズが獲得を発表。
背番号は落合博満が監督時代に着けていた66に決まる。

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