​@∬ Baseball Book ∬

#プロスピ
#松井裕樹
#楽天
#アニバーサリー

松井選手の活躍をプロスピAとともに振り返っていきます🙌
応援歌も楽しみながらご覧ください👏

【プロ入り前の経歴】

横浜市立山内小学校[3]2年時に「元石川サンダーボルト」で野球を始める。
左利きだが、野球を始めた頃は二塁と三塁を守り、3年時の終わりに投手をやるようになる。
当時は地元球団・横浜ベイスターズのジュニアチームに加入することが目標で、
6年時に同級生でチームメイトの楠本泰史と一緒に
ベイスターズジュニアのセレクションを受けて、揃って合格し、
NPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。
横浜市立山内中学校への進学後は、楠本と共に「青葉緑東シニア」へ所属。
3年時には、全国大会での優勝を経験した。

桐光学園高校へ進学すると、1年夏の選手権神奈川大会に、柏原史陽とのダブルエースで出場。
茂木栄五郎や若林晃弘を擁する桐蔭学園高校との準決勝では、
先発投手として4回1失点という内容でチームの決勝進出に貢献した。
横浜高校との決勝では、
乙坂智、近藤健介、柳裕也などを擁する横浜打線を相手に4回無失点と好投。
5回裏から柏原が登板したが、チームは延長10回の末に、1―2でサヨナラ負けを喫した。
1年秋からエースとして一本立ちを果たすと、冬場に下半身の強化へ取り組んだ。
高校2年夏の第94回全国高等学校野球選手権神奈川大会では、
準々決勝で横浜打線から被安打3で11三振を奪い、横浜の4季連続優勝を阻止した[。
桐蔭学園との決勝では、齊藤大将との投手戦を15奪三振で制し、
チームを5年ぶりに阪神甲子園球場での全国大会出場へ導いた。
本大会では、今治西高校との1回戦で、大会史上最多の10連続奪三振と1試合22奪三振を記録。
ウイニングボールは、記録翌日の8月10日から甲子園歴史館に展示された。
2回戦の常総学院高校戦でも19奪三振を挙げて2試合で41奪三振、
これまで板東英二が持っていた2試合計での最多奪三振記録を更新した。
2試合連続の毎回奪三振は、2000年の選手権大会で坂元弥太郎が記録して以来、
史上5度目のことであった。
3回戦の対浦添商業高校戦では相手が打席で投手よりに立ち、
ソフトボールのようなノーステップ打法を取り入れてきたことから
3回二死まで三振がなく1回戦から続いた毎回奪三振は途切れたが[、
8回から6連続三振に取るなどで最終的に12奪三振を記録。
前日にスーパー銭湯での温冷交代浴や、酸素カプセルの使用、
マッサージなどで体調を整えて臨んだ準々決勝の対光星学院高校戦でも15奪三振を奪ったが、
両チーム無失点で迎えた8回に3失点を喫して敗退した。
大会通算成績は36イニングを投げ防御率2.25、奪三振率17.00。
1大会通算68奪三振は夏の甲子園では歴代3位の記録であり、
左腕投手としては2005年に辻内崇伸が記録した65奪三振を更新し
1大会での史上最多記録となった。
秋の神奈川大会では準々決勝の対平塚学園高校戦で
9回を2安打2失点12奪三振を記録するも敗退し、翌年の選抜大会出場は逃す。
プロ野球の複数球団から翌年のドラフト1巡目指名候補に挙げられたが、
2年時1月に行われた公開練習の記者会見で進路については未定と答えた。
2年冬は走り込みやウエイトトレーニングを増やし下半身の強化に取り組む。
3年春にはスライダーを使用しない投球[28]やチェンジアップの精度向上にも取り組み、
7月には浦和学院高校との練習試合で9回を1安打無失点、18奪三振、無四球の快投を見せた。
3年夏の選手権神奈川大会では、
準々決勝の対横浜高校戦で淺間大基、髙濱祐仁に本塁打を打たれ、8回を8安打3失点、
10奪三振、自己最速の149km/hを記録する投球を見せるも敗退。
横浜のコーチの小倉清一郎によると、横浜はスライダーの見極め対策や球威対策に取り組み、
さらに配球の偏りや投球フォームの崩れ、
クイックモーションでの投球を分析して試合に臨んだ。
8月には第26回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出され、
予選1次ラウンドの台湾戦、予選2次ラウンドの韓国戦、決勝のアメリカ戦で先発。
2013年9月27日にプロ志望届を日本学生野球協会へ提出することを表明し、
翌月(10月24日)開催のNPBドラフト会議では、
東北楽天ゴールデンイーグルス、中日ドラゴンズ、福岡ソフトバンクホークス、
横浜DeNAベイスターズ、北海道日本ハムファイターズから1巡目で指名。
指名の重複による抽選で楽天が交渉権を獲得すると、
1億円に出来高分5,000万円を加えた契約金と、
年俸1,500万円(金額は推定)という条件で契約した。
なお、「自分の野球の原点は高校野球にある。
そこで長くつけさせてもらった背番号でスタートしたいと思ったからです」
という本人の希望を受けて、背番号は1に決まった。

【初記録】
◎初登板・初先発登板
2014年4月2日、対オリックス・バファローズ2回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、6回5安打3失点で敗戦投手
◎初奪三振
同上、1回表に糸井嘉男から見逃し三振
◎初勝利
2014年7月2日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、2回2安打無失点
◎初ホールド
2014年7月4日、対福岡ソフトバンクホークス9回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、6回裏二死で3番手で救援登板、1回1/3を無失点
◎初先発勝利
2014年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、7回2失点
◎初完投
2014年10月5日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)、8回1失点6奪三振で敗戦投手
◎初セーブ
2015年3月28日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点

【選手としての特徴】
オーバースローから最速153km/hのストレートと
2種類のスライダー、チェンジアップ、カーブ[を持ち球とし、
「消える」とも称される曲がりの大きな縦スライダーで高校時代は空振りを量産した。
2015年シーズン途中からカットボールも投げ始めた。
スライダーは高校1年時に
「カウントを取る速い変化球がほしい」と独学で握りを研究し習得し、
手首に当たるとボールの縫い目の痕がつくほどのキレを誇る。
工藤公康は松井の奪三振数が多い理由として、
「右肩が開き始めてからも左腕がなかなか出て来ず、ボールの出所が見づらい」、
「直球とスライダーの軌道が同じなので見分けが難しく、直球だと思ってバットを振ってしまう」、
「ボールの回転数が多いため、打者の手元で急に曲がるように見える」
の三点を挙げている。
嶋基宏は、松井の投球を田中将大と比較したうえで、
「スライダーについても一級品です。田中の得意球は鋭く大きく曲がるスライダーでした。
一方、松井のスライダーは、打者の手元にきてスピードが増し、タテに鋭く落ちます。
ふたりのスライダーは、まったく別ものです。
特に松井のスライダーはあまり受けたことのないボール。
楽天でこんなボールを投げる投手はいません」と語っている。
高校時代には驚異的な奪三振率を記録したが、
本人は「三振にはこだわっていない。自分は勝てるピッチャーになりたい。
球数が多くなると、どうしても勝ちには近づきにくい」と語っている。
左投手としてはクイックモーションがうまく、器用な一面を合わせ持つ。
楽天への入団1年目(2014年)のレギュラーシーズン序盤に制球難から
二軍での再調整を余儀なくされた時期に、当時二軍監督だった大久保から
「(当時楽天に在籍していた左投手で、大久保が『牽制球の投げ方が抜群にうまい』
と評価していた)トラビス・ブラックリーの投げ方を真似しろ」との命令を受けたところ、
大久保の想定を上回るほど簡単に身に付けたという。

★【歴代全Seriesプロスピを振り返る】 再生リスト👇

★【選手を振り返る short】 再生リスト👇

★【プロスピ2021 オリックスペナントレース生配信】 再生リスト👇

★【プロスピ2021 OB選手作成生配信】 再生リスト👇

3 Comments

  1. 楽天の試合を観ないので分からないのですが、松井選手って現実で制球悪いんですかね

  2. 松井裕樹投手、しばらく出てないから出したいなぁ(´・ω・`)

    高校時代の甲子園では、3アウト目を取ったあとにダッシュでベンチに戻る姿が印象的でしたよね!

Write A Comment