九里亜蓮, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2897044 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#岡山理科大学附属高等学校出身の人物
#亜細亜大学硬式野球部の選手
#広島東洋カープ及び広島カープの選手
#アメリカ系日本人
#鳥取県出身の人物
#1991年生
#存命人物
九里 亜蓮(くり あれん、1991年9月1日 – )は、鳥取県米子市生まれのプロ野球選手(投手)。
右投右打。
広島東洋カープ所属。
米子市で出生後に、小学校2年生で野球を始めた。
小学3年生で父と一緒に渡米した。
現地の硬式野球チームでは内野手を務めたが、家庭の事情から1年で帰国。
中学校を卒業するまでは、もっぱら母方の祖母に育てられた。
米子市立東山中学校3年生の時に、地元の少年野球チーム・米子ビクターズ(現在の米子ボーイズ)のエースとして、岡山県内で開かれた全国大会に出場。
その縁で、同県にある岡山理科大学附属高等学校へ進学した。
亜細亜大学への進学後は、東都大学リーグの公式戦で、通算19勝5敗、防御率1.60を記録。
4年生の秋季リーグ戦では、チームを33年ぶりの優勝に導くとともに、MVP・最優秀投手賞・ベストナインの3冠を受賞した。
さらに、4年生の時に出場した明治神宮大会では、いずれも先発で3試合に登板。
18回3分の1を投げて、1失点(自責0)、23奪三振という内容でチームに7年ぶりの優勝をもたらした。
高校・大学の1学年先輩に髙田知季、1学年後輩に薮田和樹、山﨑康晃がいる。
2013年のドラフト会議にて、広島東洋カープから2巡目で指名を受けて入団。
背番号は12。
会議当日にTBS系列で放送された『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』では、指名に至るまでの半生を、本人および家族へのインタビューや再現映像を交えながら紹介した。
入団会見には、アメリカからの帰国後に九里を育てた祖母や実母、実妹の聖莉奈も姿を見せていた。
2017年11月9日 日南市天福球場にて 2014年、1巡目指名で入団した同年齢の大瀬良大地と共に、開幕から先発ローテーションの一角に起用。
広島において、2名の新人投手が入団初年度の開幕からローテーションを担うのは初めてであった。
開幕2戦目の3月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で初登板初先発を果たすと、6回1失点と好投。
この年の新人投手で公式戦1番乗りの勝利を挙げた。
広島の新人投手が開幕2戦目以内の試合に先発登板で勝利投手となったのは、1951年開幕戦の杉浦竜太郎、1952年開幕戦の大田垣喜夫に続き球団史上3人目、実に62年ぶりの快挙であった。
5月13日の対阪神タイガース戦(米子市民球場)では凱旋登板を果たした。
しかし打線の援護に恵まれない、また中継ぎ投手に勝ち星を消されるなどの不運も相次ぎ、結果的に20試合の登板で僅か2勝に終わった。
2015年、クリス・ジョンソン、黒田博樹の加入もあり登板機会に恵まれず、7試合の登板に終わる。
2016年、ロングリリーフ、ローテーションの谷間の先発として自己最多の27試合に登板し、チームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
12月21日、4月に一般女性と結婚していたことを発表した。
2017年、前年現役を引退した黒田の穴を埋める存在として期待され、2014年以来の開幕ローテーション入りを果たした。
しかし薮田和樹、中村祐太の台頭もありシーズン中盤からはロングリリーフに配置転換された。
最終的には9勝を挙げるなど自己最高の成績を残し、チームの37年ぶりのリーグ連覇に貢献した。
投球フォーム 2013年11月17日 明治神宮野球場にて 2018年、開幕は前年から引き続き中継ぎで迎えたが、薮田和樹の不振を背景に先発ローテーションに復帰。
6月17日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で9回6安打無四球4失点の投球で初完投勝利を記録。
広島が優勝マジックを1として迎えた9月26日、2位の東京ヤクルトスワローズとの直接対決(マツダスタジアム)に先発し8回2安打無失点で8勝目を挙げ、チームは球団史上初のリーグ3連覇を決めた。
読売ジャイアンツとのクライマックスシリーズファイナルステージではアドバンテージを含む3勝0敗で迎えた第3戦に先発し、5回2/3を3安打1失点で勝利投手となり、チームは2年ぶりとなる日本シリーズ出場を決めた。
福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも第3戦(福岡ヤフオク!ドーム)でシリーズ初登板先発を果たすが、4回1/3を3安打4失点(自責点3)で敗戦投手となった。
2019年、6月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク)で9回…

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