依田勉三(よだべんぞう)率いる晩成社(ばんせいしゃ)開拓団の一員として渡辺夫妻が入植したのが明治16年。
そしてその入植地の前に現在昼夜を問わず交通量の多い国道38号線の道筋が付けられたのが明治25年です。
渡辺夫妻が入植した地は、その当時、十勝川と札内川の合流する場の流れに任せた迷路のような
幾筋ものか細い支流の一つに過ぎませんでした。
「開拓という事業は一代では成立ちません。私達は捨石です、この地に朽ち果てる覚悟は出来ています。
けれど能力が有りながら教育を受けることが出来ない子供達が野人で終わることがあってはなりません。
次の世代に花が咲けば満足です。その花を咲かせる為にも人材は必要です。」
上記引用元
1、松山善三著・依田勉三の生涯
2、http://www.hokuyotrans.co.jp/backNumber/356_syanaihou.html
この言葉の上に今の帯広があります。