和田康士朗, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3695080 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#富山GRNサンダーバーズ及びその前身球団の選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#関東地方の社会人野球チームに所属する選手
#埼玉県出身の人物
#1999年生
#存命人物
和田 康士朗(わだ こうしろう、1999年1月14日 – )は、埼玉県東松山市出身のプロ野球選手(外野手)。
左投左打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
小学校4年で野球を始め、東松山市立市の川小学校・東松山市立北中学校在学時は軟式野球を経験。
しかし、中学2年で股関節を負傷し、復帰後も周囲との実力差を感じたため野球を断念。
埼玉県立小川高等学校では陸上部に入部し、走幅跳の選手となる。
高校1年の夏、山村国際高等学校に進み、1年目から野球部のベンチ入りを果たした友人を応援するため、テレビの高校野球中継を見ていると、そこに映る真剣に野球と向き合う友人の姿と、強豪校の花咲徳栄高等学校を打ち破った様に感動を覚え、野球の再開を決断。
冬に陸上部を退部し、同校硬式野球部の部員数が少なかったことから、レベルの高さを求めて硬式クラブチームの都幾川倶楽部硬式野球団に加入。
1年目は代打で起用されていたが、2年目からは1番・中堅手として定着。
全日本クラブ選手権予選にも出場した。
従って高野連傘下にある高校野球の経験がない。
高校卒業後はクラブチームに所属したまま大学への進学を予定していたが、前年に同クラブチームからベースボール・チャレンジ・リーグ(BCL)の武蔵ヒートベアーズに入団した横田宏道に影響を受けて独立リーグへの挑戦を視野に入れる。
腕試しに四国アイランドリーグplus(四国IL)とBCLのトライアウトを受験したところ、BCLの富山GRNサンダーバーズ監督の吉岡雄二の目に留まり、同球団に入団。
富山では左翼手のレギュラーとして活躍し、2017年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成1位指名を受けた。
2017年11月19日、支度金300万円、年俸240万円で千葉ロッテマリーンズと契約を結んだ。
背番号は122。
育成選手時代 (2018年1月14日 ロッテ浦和球場にて) 2018年は、3月24日のイースタン・リーグ・東京ヤクルトスワローズ戦で9回表に公式戦初安打となる本塁打を放った。
しかし、本塁打はその1本のみで、94試合に出場しながら、打率.167、3打点、6盗塁の成績に終わる。
盗塁死は7で、盗塁成功率が5割を下回っていた。
2019年も支配下登録されることなく、年間通して二軍で暮らしたが、選手兼任コーチの福浦和也指導の下で打撃フォームを矯正すると、9月は月間打率.346、3本塁打を記録。
最終的に、103試合に出場して打率.264、6本塁打、20打点の打撃成績を残し、走塁ではリーグ2位タイとなる23盗塁をマークした。
2020年は、育成選手ながら春季キャンプから一軍に合流し、6月1日に支配下選手登録契約を結んだ。
背番号は122から「63」に変更となった。
6月の練習試合で8盗塁を決めるなど足でアピールし、自身初の開幕一軍を勝ち取ると、開幕戦である6月19日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡PayPayドーム)にて、1点を追う9回表無死の場面で角中勝也の代走として一軍初出場。
二死になってから強肩として知られる甲斐拓也からプロ初盗塁を記録し、その後、一時同点となるホームを踏んだ。
24日には初盗塁を記念したグッズの受注販売が開始された。
同27日のオリックス・バファローズ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、7回裏に清田育宏の代走として出場。
二盗を決めると、9回裏には先頭打者としてプロ初打席に立ち、四球で出塁。
再び二盗を決め、プロ入り後初めて1試合で2つの盗塁を決めた。
その後も、試合終盤の代走要員として起用され続けてきたが、8月16日の北海道日本ハムファイターズ戦(ZOZOマリン)では、「1番・中堅手」でプロ入り初先発出場。
第1打席でドリュー・バーヘイゲンからプロ初安打を記録すると、3打席連続安打でプロ初の猛打賞を記録。
先頭打者として出塁し、次打者・中村奨吾への初球で二盗を成功させ、その中村の犠打で三塁進塁、その後本塁生還という展開を初回、3回、5回の3連続で繰り広げる3安打3盗塁3得点の活躍を見せ、決勝打を放った田村龍弘とともにヒーローインタビューを受けた。
この試合ではチームメイトのマーティンも3盗塁を決めており、ロッテが1試合で6盗塁を決めたのは2006年10月1日の楽天戦(平下晃司、西岡剛、青野毅、根元俊一2、サブロー)以来14年ぶり、…

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