北條史也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2700357 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#八戸学院光星高等学校出身の野球選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#堺市出身の人物
#1994年生
#存命人物
北條 史也(ほうじょう ふみや、1994年7月29日 – )は、大阪府堺市南区出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
光星学院時代 小学校4年から野球を始め、堺市立美木多中学校時代は「オール狭山ボーイズ」に所属していた。
中学校の2学年先輩に一二三慎太が、小中高時代のチームメイトに田村龍弘がいた。
光星学院高等学校では1年からベンチ入りを果たす。
2年夏には第93回全国高等学校野球選手権大会に出場し、チーム最多タイの8打点を記録し、チームも準優勝した。
明治神宮野球大会では打率.455、1本塁打、7打点の活躍で優勝に貢献。
神村学園高戦では大会史上初の逆転サヨナラ満塁ホームランを放った。
第94回全国高等学校野球選手権大会では、第67回大会の清原和博にあと1と迫る1大会4本塁打を放つなど4番打者として活躍。
決勝戦では、後にプロでチームメイトとなる藤浪晋太郎を擁する大阪桐蔭高校と対戦するも、4打数無安打2三振と抑えられ優勝を逃した。
甲子園大会では2011年夏から2012年春、2012年夏と3季連続で準優勝を記録するなど、主砲としてチームを引っ張った。
高校通算25本塁打。
甲子園通算29打点は清原と並んで史上最多。
第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され、世界大会を経験した。
2012年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから2巡目で指名され、契約金7,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は2。
2013年には、遊撃手としてウエスタン・リーグ公式戦84試合に出場。
打撃面では打率.199、1本塁打、20打点、守備面では18失策を記録した。
シーズン終盤から参加したみやざきフェニックス・リーグでは、実戦で二塁や三塁の守備も経験した。
現状維持となる推定年俸720万円で契約を更改した 2014年には、7月17日に長崎ビッグNスタジアムで催されたフレッシュオールスターゲームで、ウエスタン・リーグ選抜の「5番・二塁手」としてスタメンで出場。
同リーグの公式戦では、102試合に出場するとともに打率.259、2本塁打、23打点、リーグ最多の52四球を記録した。
9月29日にプロ入り後初の一軍昇格を果たしたが、一軍公式戦への出場機会がないままシーズンを終えた。
11月に台湾で開かれた第1回IBAF21Uワールドカップでは、日本代表の一員として全8試合に出場。
打率.304、1本塁打、8打点という活躍で、二塁手部門の大会ベストナインに選ばれた。
オフに、10万円増となる推定年俸730万円で契約を更改した 2015年には、前年のシーズン終了後に、正遊撃手の鳥谷敬がメジャーリーグへの挑戦を視野に海外FA権を行使したことから、鳥谷の後継者の1人として期待された。
鳥谷は春季キャンプの直前に残留を表明したものの、プロ入り後初めて、春季キャンプを一軍で迎え、オープン戦の終了まで一軍に帯同した。
しかしオープン戦で打率.067(15打数1安打)、0打点と低迷したため、公式戦の開幕を二軍で迎えた。
二遊間をポジションとする内野手が複数名加入したチーム事情を背景に、ウエスタン・リーグ公式戦の序盤は、三塁手としてのスタメン出場の機会が例年より増加。
打撃も好調で、クリーンアップにも名を連ねるようになった。
公式戦通算では、リーグ最多の112試合に出場。
打率.243、チーム2位(リーグ7位)の10本塁打、チーム最多(リーグ8位)の43打点を記録した。
5月31日の対中日ドラゴンズ戦では、3番打者としてスタメンに起用されると、4番江越大賀、5番梅野隆太郎とのクリーンアップによってチーム35年ぶりの同リーグ公式戦3者連続本塁打を達成している。
5月26日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、5月28日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(阪神甲子園球場)5回裏に代打で一軍デビュー。
この打席で一塁へのファウルフライに終わり、5月29日に登録を抹消されたため、一軍公式戦への出場はこの1打席のみにとどまった。
オフに、現状維持となる推定年俸730万円で契約を更改した。
2016年には、前年に続いて、春季キャンプからオープン戦を通じて一軍へ帯同。
13試合に出場したオープン戦で打率.333を記録したことを背景に、自身初の開幕一軍入りを果たした。
4月3日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜…
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