美馬学, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2221557 / CC BY SA 3.0

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美馬 学(みま まなぶ、1986年9月19日 – )は、千葉ロッテマリーンズに所属する茨城県北相馬郡藤代町(現在の取手市)出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
愛称は「美馬っち」。
妻は女優のサントス・アンナ。
藤代町立藤代中学校(現:取手市立藤代中学校)時代は軟式野球部に所属し、第23回全国中学校軟式野球大会ベスト8の成績を残した。
同県出身の同い年で中学時代は野球部だった大相撲第72代横綱・稀勢の里寛と対戦経験がある。
藤代高校進学後は1年からレギュラーとして活躍。
2年春にはセンバツに出場するも、夏からはケガを繰り返し、一塁手として起用されたこともあった。
高校の2年先輩には井坂亮平がおり、後の中央大学進学はその繋がりで「なんとか入れた感じでした」と後に語っている。
中大進学後は硬式野球部に所属。
大学でもケガに悩まされ、2年時と4年時には肘の手術を経験した。
4年春には13試合中10試合の登板で2部優勝に貢献し、MVPを受賞した。
1年先輩に村田和哉、2年後輩には澤村拓一、遠藤一星、3年後輩に井上晴哉がいる。
東京ガスに入社後もケガのためスタートが遅れるが、都市対抗予選ではクローザーとして4試合を無失点に抑える投球で本選出場に貢献。
榎田大樹は同期で、プロ入り後も自主トレを一緒に行う仲である。
2010年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから2巡目で指名。
契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。
入団当初の背番号は31。
指名の直後には、広州アジア大会へ日本代表の一員として出場すると、銅メダルを獲得した。
2011年、新人で唯一開幕一軍入りを果たすと、4月23日の対北海道日本ハムファイターズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で同点の9回表に登板。
1イニングを2奪三振を含む三者凡退で凌ぐと、その裏にチームがサヨナラ勝利を収めたことによってプロ初勝利を挙げた。
しかし6月に右肘に痛みを感じて登録抹消となり、3ヶ月の治療を経て二軍の最終戦で復活した。
2012年、監督の星野仙一のアドバイスがあり、肘の負担の少ない先発に転向する。
二軍で4試合に登板し、25回2/3を投げて1勝2敗、防御率3.16の成績を残し、一軍昇格。
4月26日のオリックス・バファローズ戦でプロ初先発。
5月13日の対オリックス戦でシーズン初勝利。
5月28日の東京ヤクルトスワローズ戦で交流戦初先発、プロ初完投勝利を挙げた。
9月は先発ローテーションの先頭となり、エース級とばかりと当たったため4戦全敗となったが、シーズン最後まで先発ローテーションの座を守って規定投球回に到達し、8勝10敗、防御率3.08の成績を残した。
2013年、前年に引き続き先発ローテーションに定着し、5月上旬までに4勝を挙げるが、リーグワーストの被本塁打を記録するなど調子は良くなく、5月23日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦では1回6失点で降板し、翌日に一軍登録抹消。
7月28日に一軍登録され、先発ローテーションに復帰したが、10月4日の対埼玉西武ライオンズ戦で右肘に違和感を覚えて2回1/3(3失点)で降板した翌日に再度一軍登録抹消。
2週間後の10月19日に一軍復帰し、同日の千葉ロッテマリーンズとのクライマックスシリーズファイナルステージの第3戦(クリネックススタジアム宮城)に先発登板。
被安打4、三塁を踏ませない好投で「プロ入り初完封」勝利を収めた。
巨人との日本シリーズでは、第3戦(東京ドーム)で先発登板。
6回裏、阿部慎之助の投手強襲安打の打球を足首に受けて降板したものの、5回2/3をなげて4安打無四球無失点の内容で日本シリーズ初勝利を挙げる。
その後、3勝3敗で迎えた第7戦(Kスタ宮城)でも先発し、6回無失点に抑えて今シリーズ2勝目。
チームは球団初の日本一となり、美馬がMVPに選出。
10投球回以上(11イニング2/3)を投げて無失点は日本シリーズ史上5人目、初出場投手としては史上2人目。
2014年、1月10日には、出身地の取手市から、市特別功労表彰を授与。
同月12日には、共通の知人による紹介で3年間交際してきたサントス・アン…

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