二木康太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2946321 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#鹿児島県出身の人物
#1995年生
#存命人物
二木 康太(ふたき こうた、1995年8月1日 – )は、鹿児島県霧島市出身 のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
小学3年生までサッカーチームに所属しており、今でもサッカーは趣味であり特技である。
5年生の頃、霧島市立青葉小学校のスポーツ少年団(軟式野球)に入団し、野球を始め、霧島市立国分中学校時代には軟式野球部に所属し投手としてプレーした。
鹿児島情報高等学校では1年秋から背番号「1」を背負い、エースとして活躍した。
2年の夏は、鹿児島大会で18イニング連続無失点をマークする好投を見せるも、チームは4回戦の対鹿児島工戦で敗れた。
新チームで挑んだ秋の鹿児島大会では、登板した53イニングで与えた四死球はわずかに4という制球力の良さを見せるなど、チームの創部後初の県大会優勝に貢献した。
その後学校としては13年ぶり2回目の出場となった第131回九州地区高等学校野球大会(秋季九州大会)に臨んだが、2回戦(初戦)で長崎県代表の創成館に0-1で敗戦し、上位進出はならなかった。
3年春の鹿児島大会では決勝で鹿屋中央に敗れ、準優勝に終わる。
2季連続の出場となった第132回九州地区高等学校野球大会(春季九州大会)も2回戦で敗退した。
九州大会では2季合わせて全4試合に登板し、36投球回で失点3と抜群の安定感を見せた。
ただ、第1シード校として臨んだ5月のNHK旗争奪鹿児島県選抜高校野球大会では鹿屋工にコールド負けを喫した。
高校生活最後の大会となる全国高校野球選手権鹿児島大会では、初戦で鹿児島城西を6安打9奪三振で完封する上々のスタートを切ると、準々決勝で神村学園を相手に5-4と逆転勝利し、チームとして創部以来初めての夏の鹿児島大会ベスト4進出を果たした。
しかし、準決勝で樟南の前に1-5で敗れ、甲子園出場はならなかった。
2013年9月17日付でプロ志望届を提出した。
2013年10月24日、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから6位指名を受けた。
10月28日にロッテのスカウト陣が鹿児島情報高校を訪問し、同校野球部の図師賢剛監督らに指名の挨拶を行ったほか、二木本人へは監督(当時)の伊東勤からの直筆の色紙が贈られた。
11月17日、鹿児島市内のホテルにて契約金2000万円、年俸500万円(金額は推定)で仮契約を行い、「高卒1年目から活躍をしている唐川選手が憧れでした。1日でも早く1軍に上がれるように頑張りたいです。」と抱負を述べ、「期待と不安の両方がありますが、今は楽しみの方がはるかに多いです。ストライプのユニホームを着るのは初めてで楽しみです。不安は、やっぱり初めて暮らす関東は都会なのが心配ですね」とのコメントも残した。
背番号は「64」に決まり、初の鹿児島情報高校出身のプロ野球選手となった。
2014年は、ファームで2試合に登坂した。
2015年は、ファームで26試合に登板するなど出場機会を得る。
6月29日に行われた「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」では、ケガのため辞退したチームメートの田中英祐に代わりNPB選抜の一員として出場、1イニングを無失点に抑えた。
8月15日、イースタン・リーグの楽天戦で9回1アウトまでノーヒットノーランを続けたが、高校時代から何度も対戦経験がある柿澤貴裕(神村学園出身)に中前打を打たれ阻止された。
2軍での活躍を受け、9月には先発で一軍デビュー予定であることが報道された。
チームがAクラス争いの最中であったこととの関連で、9月中の先発登板は見送られたものの10月5日に一軍登録され、同日の北海道日本ハムファイターズ戦で3回から2番手で一軍初登板を果たし5回1失点と好投した。
2016年は、開幕から先発ローテーション入りを果たす。
4月12日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では9回1失点でプロ初勝利を挙げ ると、先発陣の一角として活躍。
8月以降は1勝のみと後半戦は調子を落としたものの、22試合の登板(うち先発21)でチームでは石川歩、涌井秀章、ジェイソン・スタンリッジに次ぐ7勝を挙げた。
2017年は、4月14日の埼玉西武ライオンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)でシーズン初先発すると、7回1失点の好投を見せ、その後は先発ローテーションに定着。
安定した投球を続け、7月3日には、監督推薦でオールスターゲームに初選出された。
最終的に22試合に先…
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