スコット・カズミアー, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=832493 / CC BY SA 3.0

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スコット・カズミアー

スコット・エドワード・カズミアー(Scott Edward Kazmir, 1984年1月24日 – )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は、フリーエージェント(FA)。

日本語メディアでは「カズミア」、「キャズミヤー」とも表記されることもある。

子供のころは地元のヒューストン・アストロズのファンで、好きな選手はテキサス州出身の豪腕ノーラン・ライアンとアストロズの抑え投手ビリー・ワグナーだった。野球部では4試合連続ノーヒットノーランを達成し、最終学年時には175奪三振でテキサス州高校シーズン記録を塗り替えた。ベースボール・アメリカ誌が選ぶの高校最優秀選手に選出されている。

2002年のMLBドラフト1巡目(全体15位)でニューヨーク・メッツから指名され、プロ入り。傘下のマイナーリーグにおいて、カズミアーはホセ・レイエスやデビッド・ライトと並んで期待の超有望株だった。

のスプリングトレーニングでカズミアーの球を受けたマイク・ピアッツァは、「なかなかハードなボールを投げる。とても素晴らしい才能を持っている。若いし、明るい未来が開けてくると思う。必ずメジャーに上がってくるだろう。左投手で速球派は数少ないし、打ちにくいものだからね。これから彼が気をつけなくちゃいけないことは、怪我に注意して、いつでもストライクが取れるコントロールを身につけることじゃないかな。あのファストボールがあれば、活躍できると思うよ。」と当時の印象を語っていた。

また、有望株ゆえにトレード話が持ち上がると必ず相手チームから要求される存在でもあった。

7月30日、ビクター・ザンブラーノ、バートロメイ・フォーチュナトゥとのトレードで、ホセロ・ディアスとともにタンパベイ・デビルレイズに移籍。このときの放出理由の1つには「体格や投球フォームが故障を招きやすい」というものがあった。だがファンや評論家は、メッツ史上最悪のトレードとされるのライアン放出に準えて批判を展開した。移籍後は傘下のAA級モンゴメリー・ビスケッツで3週間プレーした後、8月23日のシアトル・マリナーズ戦で20歳7か月とこの年のメジャー投手全体で最年少、球団投手史上チャド・ゴダーンに次いで2番目の若さでメジャーデビュー。5回を無失点に抑えメジャー初勝利も同時に記録した。

はオールスターまでの前半戦が3勝7敗・防御率4.59に対し、後半戦は7勝2敗・防御率2.79の好成績を記録。カズミアー本人によると持ち球をストライクゾーンに集められるようになったから安定してきたという。球団新記録、メジャー新人投手最多の174奪三振(リーグ4位)を記録し、奪三振数が被安打数を上回った。規定投球回以上投げたアリーグの投手の中でこれを達成したのはランディ・ジョンソン、ヨハン・サンタナしかいない。自責点が1点以下の先発試合数が14でヨハン・サンタナ、マーク・バーリーと共にリーグ最多となった。その一方で100四球(両リーグ最多)を記録するなど荒れ球で、防御率は3.77を記録した。

は、4月3日のボルチモア・オリオールズ戦で22歳69日で開幕投手となる。これはのドワイト・グッデン(メッツ=当時)以来の若さだった。7月3日のボストン・レッドソックス戦でジョシュ・ベケットに投げ勝ちメジャー初完封を記録した。その後、前半戦だけで10勝を挙げ、125奪三振を記録し、オールスターに選出されたが、左腕の炎症で7月30日に故障者リスト入り。8月11日に復帰したものの、3試合に投げたところで再発し、そのままシーズンを終えた。規定投球回数に満たなかったとはいえ奪三振率は10.14を記録し、この年のアメリカンリーグ奪三振王ヨハン・サンタナの9.44を上回っていた。

は前半戦不調だったが、後半戦の防御率2.39を上回ったのはリーグでファウスト・カーモナのみで、シーズン通して3.48を記録。投球回数は初めて200の大台に乗り、奪三振数は239とそれぞれ球団記録を更新すると共に奪三振王のタイトルを獲得した。23歳での奪三振王獲得は、ア・リーグ史上8番目の若さであった。奪…

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