鈴木大地 (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2444560 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#桐蔭学園高等学校出身の野球選手
#東洋大学硬式野球部の選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#野球日本代表選手
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#静岡県出身の人物
#1989年生
鈴木 大地(すずき だいち、1989年8月18日 – )は、静岡県駿東郡小山町出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投左打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
2012年から2019年までは、千葉ロッテマリーンズへ在籍。
在籍中には、2014年から2017年までチームキャプテン、2019年に選手会長を務めた。
2019年のシーズン終了後に、国内FA権の行使によって楽天へ移籍。
小山町立足柄小学校時代に学童野球の北郷ファイターズへ所属すると、中学生時代には静岡裾野シニアでプレー。
シニアへの入団当初は外野手だったが、2年から遊撃手に転向すると、全国大会にも出場した。
当時のエースが神奈川県の桐蔭学園高校から硬式野球部の練習への参加を誘われていたことから、自身も練習への参加を志願。
この練習をきっかけに、同校への入学を認められた。
桐蔭学園高校では、1年時の夏の神奈川大会からベンチ入りを果たした。
2年時の秋から正遊撃手に定着したが、在学中は春夏ともに甲子園に出場できなかった。
高校の同級生に、篠塚和典の息子で、Honda硬式野球部に所属する篠塚宜政がいる。
第5回世界大学野球選手権大会での鈴木(2010年、神宮球場にて) 高校からの卒業後に東洋大学経営学部経営学科へ進学すると、1年時の春から東都大学野球のリーグ戦に出場。
守備範囲の広さと強肩を買われて、秋季リーグ戦から三塁手としてレギュラーに定着すると、3年生だった2010年の春季リーグ戦からは4番打者と副主将を任された。
3年生が副主将に抜擢されたたのは創部以来初めてで、春季リーグ戦で 打率.340を記録すると、春秋連続でベストナインに選ばれた。
4年時には、主将を務めながら遊撃手へ再び転向すると、遊撃手としても春秋連続でベストナインに選出。
在学中には、5回のリーグ優勝と4回の全国制覇を経験したほか、リーグ戦通算で打率.288(301打数85安打)、3本塁打、29打点を記録した。
さらに、2011年度には日本学生野球協会から「大学の部」で表彰された。
同期生には、4年時に自身の下で副主将を務めた藤岡貴裕や、小田裕也がいる。
その一方で、3年時の春に広州アジア大会日本代表の1次候補へ入ると、夏の第5回世界大学野球選手権大会で日本代表に選出。
背番号は5で、「1番(または3番)・三塁手」として、代表チームの銅メダル獲得に大きく貢献した。
さらに、4年時の7月にアメリカで催された第38回日米大学野球選手権大会にも、日本代表の遊撃手や三塁手として出場した。
2011年度NPBドラフト会議で、藤岡を1巡目で指名した千葉ロッテマリーンズから3巡目指名を受け、契約金7000万円、年俸1300万円(金額は推定)という条件で、藤岡と揃って入団。
背番号は35となり、一軍に1年間帯同することを目標に挙げた。
スカウトの山下徳人からは、2010年を以て退団した西岡剛に代わってこの年外野手の荻野貴司がコンバートされたものの、怪我での離脱により穴埋めに失敗していた正遊撃手候補として、「ポスト西岡」という高い評価を受けていた。
ロッテ時代の鈴木(2012年、ロッテ浦和球場にて) 2012年には、春季一軍キャンプのメンバーに抜擢されたが、キャンプ3日目にインフルエンザへの感染が判明。
参加メンバーで最初のリタイアを余儀なくされたため、一軍公式戦へのデビューは6月2日の対中日ドラゴンズ戦(QVCマリンフィールド)8回裏での代走起用まで持ち越された。
6月11日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)9回表に代打で出場すると、一軍公式戦での初安打を右翼フェンス直撃の二塁打でマーク。
一軍公式戦全体では62試合の出場で、本塁打を放てなかったが、打率.274を記録した。
2013年には、4月18日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)および、19日と20日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でパシフィック・リーグ(パ・リーグ)公式戦タイ記録の3試合連続適時三塁打を記録。
この「3づくし」の記録を本拠地のQVCマリンフィールドで達成したことから、場内の売店では、「大地の恵み味噌ラーメン」(3種類の味噌、3枚のチャーシュー、3枚の海苔を添えたラーメン)や…

WACOCA: People, Life, Style.