井上晴哉, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2890493 / CC BY SA 3.0
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#1989年生
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井上 晴哉(いのうえ せいや、1989年7月3日 – )は、広島県広島市東区出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
愛称は「アジャ」(女子プロレスラーのアジャコングに似ていることから)。
出生時の体重は、約5,200グラムとビッグサイズであった。
3歳から野球を始め、小学校は軟式野球「温品ヤングウルフクラブ」、広島市立福木中学校時には「広島スターズ」に所属。
崇徳高校では1年秋から4番を務め、第88回全国高等学校野球選手権大会の広島県予選では、準決勝で吉川光夫、野村祐輔、小林誠司らを擁する広陵高校を下すが準優勝に終わった。
高校通算31本塁打も甲子園出場はなし。
中央大学に進学後、東都大学野球リーグで活躍し2年秋に打率.359で首位打者を獲得、ベストナインに選出される。
3年春は最多打点(15打点)を叩きだしベストナインに選ばれた。
また2年春から3年秋までは3シーズン連続で打率4割を超え、3年秋には5割を記録。
この活躍により第5回世界大学野球選手権大会の代表選手に選出され、3試合に出場。
東都大学野球一部リーグでの通算成績は、88試合出場で打率.285、本塁打9本。
2部1季は13試合44打数13安打、本塁打3、9打点、打率.295。
中央大学卒業後は日本生命に入社、1年目は主に5番を任され第38回社会人野球日本選手権大会では打率.545と活躍し、指名打者の優秀選手にも選出された。
社会人2年目には、4番を任されるようになり、都市対抗近畿予選では13打数7安打8打点で打率.538と好成績を残したが、チームは本戦1回戦の対三菱日立パワーシステムズ戦で敗退した。
中国の天津で開催された2013年東アジア競技大会では日本代表に選出、打線の中軸として主に5番を任された。
決勝戦の対韓国戦では3安打を打ち、全7試合に出場して打率.429を記録して日本の金メダル獲得に貢献する活躍をみせた。
第39回社会人野球日本選手権大会では1回戦の対セガサミー戦で内野安打を含む4打数2安打1打点、2回戦・JFE東日本戦で右中間への本塁打や適時打を打つなどの活躍も見せたが、チームは敗戦した。
「2013年度社会人野球表彰」では、一塁手部門のベストナインに選出(初受賞)、19試合出場25打点の成績で最多打点賞を受賞、「大阪府野球連盟ベストナイン」にも一塁手部門で選出された。
2013年のドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから5位指名され、11月25日に大阪市内の日本生命にて仮契約を結び、「とにかく日本一になりたいです。そのために1年目から一軍戦力として活躍して、日本一に貢献したいです」と抱負を語った。
契約金5,000万円、年俸1,200万円(推定)、背番号は「44」。
2014年、ドラフト時に公称110kgとしていた体重が、入寮時には115kgになっていた。
これは一年目の元中日・中田亮二とならぶ日本人選手の最重量である。
2月12日、キャンプ後初の紅白戦において、白組の4番一塁としてスタメン出場し、3打数2安打2打点のデビュー。
7回に右中間へ打った打球が守備の乱れで返球が遅れ、井上いわくフェンスのある球場では人生初、同時にプロ初本塁打となるランニング本塁打を記録。
オープン戦を通じて好調を維持し、15試合で46打数20安打、打率.435、2本塁打の成績を残し、ドラフト制導入後は初となる新人でのオープン戦首位打者になった。
3月28日に行われた福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、球団では毎日時代の1950年、戸倉勝城以来の64年ぶりの新人による開幕四番として指名打者で先発出場。
プロ初打席は、攝津正から三ゴロに終わり、この試合では無安打に終わった。
4月4日の対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)の第2打席に左中間へ適時二塁打を打ち、開幕から12打席目でプロ入り初安打と初打点を記録。
4月11日に、本拠地・QVCマリンフィールドの飲食店にて「井上晴哉満腹丼」が発売された。
4月12日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(QVCマリン)の2回裏に塩見貴洋からバックスクリーン直撃のプロ入り初本塁打を記録。
しかし、ここまで19試合で打率.204、1本塁打、6打点と、開幕から成績は低迷。
出場機会も減少し、5月2日に…
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