荒木貴裕, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1920031 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#帝京第三高等学校出身の人物
#近畿大学体育会硬式野球部の選手
#東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手
#富山県出身の人物
#1987年生
#存命人物
荒木 貴裕(あらき たかひろ、1987年7月26日 – )は、富山県小矢部市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投右打。
東京ヤクルトスワローズ所属。
津沢小学校のスポーツ少年団で、2年生の時に遊撃手兼投手として野球を始める。
津沢中学校時代は高岡シニアに所属し、全国大会に出場した。
帝京第三高校では、1年秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、甲子園出場はならなかったものの、3年の2005年夏には県大会で4強の成績を残している。
3年夏の大会前に、近畿大学の練習に参加した際に監督・榎本保の目に止まり、入学することになる。
近大進学後の関西学生リーグでは、1年春からベンチ入り、2年春から遊撃手のレギュラーを務めた。
同期には、後に阪神タイガースに入団する藤川俊介がいた。
3年時には大学日本代表に選出され、ハーレム国際と世界選手権に出場。
4年時は骨折で春季リーグの前半を棒にふったものの、復帰後にチームが6連勝をマークするなど存在感を発揮。
日米大学選手権では、大学日本代表の主将も務めている。
リーグ通算64試合出場、231打数66安打、打率.286、0本塁打、29打点。
遠投115メートル、50メートル6秒1の身体能力が評価されていた。
2009年のドラフトで東京ヤクルトスワローズから3位指名を受け、11月24日に契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)で仮契約。
12月9日に行われた入団会見では、宮本慎也を目標としてあげている。
小・中・大・大学日本代表と四度にわたって主将経験がある点から、キャプテンシーが評価されており、その点からも「宮本二世」の呼び声がかかっている。
2010年1月6日に戸田の球団寮に入寮、荒木自身が5歳の時に亡くなった「姉の分も頑張りたい」とコメントしている。
自主トレでは青木宣親から「柔らかくていいスイングをしている」と評価された。
春季キャンプは一軍スタート。
開幕一軍に入り、ヤクルト球団としては1970年の中村国昭以来となる開幕スタメン(7番・遊撃手)に入った。
2011年のフレッシュオールスターゲームでは2安打1打点、守備ではファインプレーと攻守に渡って活躍し、MVPとなった。
2013年、守備に難点があるため、一塁、三塁にコンバートされる。
シーズン中盤、一軍へ昇格。
6月9日の対北海道日本ハムファイターズ戦において、三塁手としてリーグワーストタイとなる1試合3失策を記録した。
相変わらず守備に課題がある一方、2013年は打撃が向上し、二軍で首位打者(打率.337)を獲得。
2014年、オープン戦は外野手として出場したが、シーズンに入り遊撃手のレギュラー候補3人が相次ぎ怪我で欠場。
二軍で正規の遊撃手がいない状態になり、外野手構想から遊撃手に復帰。
4月26日遊撃手として一軍へ昇格。
昇格後は遊撃手のレギュラーとして活躍したが、森岡良介の復帰とともに失速し、7月26日に二軍へ降格。
9月27日、再び一軍登録、外野手で試合出場した。
この年は55試合に出場した。
この年の秋季キャンプ終了後、次期監督の真中満から徳山武陽、古野正人、西浦直亨らと共に、1番成長が感じられた選手の1人として挙げられている。
2015年は、前半戦は主に1番レフトとして出場。
その後もリハビリ中のウラディミール・バレンティンや離脱したラスティングス・ミレッジの代わりとしてスタメンで好成績を残す。
しかし、シーズン途中に骨折で離脱。
復帰後は主に代打、代走として出場し、5盗塁含む自己最多の73試合に出場した。
クライマックスシリーズ、日本シリーズでは打撃機会こそはなかったものも代走として3試合に出場した。
シーズン後の契約更改では450万円増の2000万円(推定)でサインした。
2017年、5月14日の対中日ドラゴンズ戦で初めてサヨナラ満塁ホームランを記録したことにより、5月のスカパー!サヨナラ賞を受賞した。
91試合に出場し、打率.207、6本塁打、25打点を記録した。
2018年は、62試合に出場し打率.218、3本塁打、21打点を記録した。
2019年は、前年を上回る93試合に出場した。
打率も.250を記録した。
2020年は、63試合の出場に留まり、打率.164、1本塁打、7打点と結果を残せなかった。
2021年は、開幕一軍のメンバーに選…
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