西野真弘, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3105380 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#東海大学付属浦安高等学校出身の人物
#国際武道大学野球部の選手
#JR東日本硬式野球部及びその前身チームの選手
#アジア競技大会野球日本代表選手
#日本のアジア競技大会銅メダリスト
#東京都区部出身の人物
#1990年生
#存命人物
西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 – )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
オリックス・バファローズ所属。
南葛西小学校時代に「葛西キラーズ」で野球を始め、南葛西中学校では「浦安リトルシニア」に所属し、東海大学付属浦安高校では甲子園出場経験は無し。
国際武道大学4年生の時、千葉県大学野球リーグで春・秋の2季連続で二塁手のベストナインを獲得した。
2014年6月3日 JR東日本時代は1年目に社会人野球ベストナインを獲得した(二塁手)。
2年目には韓国で行われた第17回アジア競技大会の野球日本代表に選ばれ、4試合に出場、計8打数1安打だった。
唯一の安打はモンゴル戦で放った本塁打である。
社会人時代は田中広輔と二遊間を組んでいた。
2014年プロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズに7巡目で指名され、契約金2,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で合意し入団。
背番号は39に決まった。
ドラフト後に行われた第40回社会人野球日本選手権大会では二塁手として3試合に先発出場、計12打数3安打1四死球だった。
2015年は開幕を一軍で迎えた。
4月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦の5回表に代打でプロ初出場し、初打席は一塁手への飛球で凡退した。
4月12日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では8番・三塁手で初先発出場し、7回表の第3打席で初安打となる右前安打を放つと、4月22日の対千葉ロッテマリーンズ戦では7回表に二死満塁の場面で2点適時打を放って初打点を挙げ、4月29日の楽天戦では4回裏にプロ初本塁打を放った。
5月2日の対ソフトバンク戦では2回裏に初盗塁(二盗)を記録。
33試合に出場した時点では、規定打席には達していなかったものの、94打数34安打の打率362、3本塁打、18打点、5盗塁、得点圏打率.480の好成績を収めていた(同時期のリーグ首位打者が柳田悠岐で打率は.356、規定打席まであと5打席の清田育宏の打率は.355だった)。
7月2日の対北海道日本ハムファイターズ戦の8回の第4打席で空振りをした際に右手首を痛め、翌3日に有鈎骨の骨折で全治2か月と診断され、7月4日に出場選手登録を抹消され、その後復帰することなくシーズンを終えた。
12月1日、大阪市の大正警察署で一日警察署長を務めた。
2016年、チームでは糸井嘉男と共に全試合に出場、1試合以外は全て二塁手として出場した。
三塁打数7は茂木栄五郎と共にリーグ最多を記録する一方、二塁手部門でリーグ最多の17失策を記録した。
12月12日に背番号が5に変更されたことが発表された。
2017年、開幕戦は2番二塁手で先発出場したが、夏場には二軍降格を経験するなど不調に終わった。
6月19日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では代打から出場しプロ入り後初めて遊撃手として出場した。
2018年、三塁手としての出場を重ねていたが、8月11日の試合の守備練習中に打球が額に直撃し、病院で検査を受け、前頭骨骨折、脳震盪と診断され、出場登録を抹消された。
2019年は、怪我や不振で自己最少の56試合の出場にとどまった。
パンチ力を兼ね備えたシュアな打撃と50メートル走で6秒1を記録した俊足、内野複数ポジションをこなせる器用さが持ち味。
身長167cmはチーム最低身長(入団当時)。
自身と同じように小柄な内野手で元チームメイトの平野恵一をプロ入り時から尊敬しており、平野からは引退セレモニー時に使用したバットと、平野の名前入りのリュックサックをプレゼントされている。
なお、2016年のオフに変更した背番号5は、平野がオリックス時代につけていた背番号である。
また、応援団が演奏する応援歌も平野のものが継承された。
WACOCA: People, Life, Style.