髙山俊, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3292900 / CC BY SA 3.0

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#千葉県出身の人物
#1993年生
髙山 俊(たかやま しゅん、1993年4月18日 – )は、千葉県船橋市出身のプロ野球選手(外野手)。
右投左打。
阪神タイガース所属。
東京六大学野球通算最多安打(131安打)のリーグ記録保持者。
長野県内で出生した後に、船橋市出身で大手証券会社に勤務する実父の転勤に伴って、和歌山県・東京都など複数の都県に居住。
小学1年生の時に、実父が船橋市内に自宅を新築したため、和歌山県から同市へ転入した。
船橋市立飯山満小学校1年生の時に、実父とのキャッチボールを地元の少年野球チーム「ホワイトビーストロング」のコーチが見たことをきっかけに、同チームにスカウト。
「ホワイトビーストロング」で本格的に野球を始めると、6年生の時に、遊撃手・投手・捕手をこなしながら全国学童大会に出場した。
さらに、近藤健介、船越涼太らと共に、千葉ロッテマリーンズジュニアチームのメンバーへ選出、12球団ジュニアトーナメント準優勝を経験した。
船橋市立七林中学校への進学後は、遊撃手や投手として「船橋中央シニア」でプレー。
在学中には、千葉県内の陸上競技大会200メートル走で4位に入った。
高校時代 日大第三高校への進学後は、1年生時の秋に1番右翼手としてレギュラーに定着すると、東京都大会で打率.435を記録。
チームの都大会ベスト4入りに貢献した。
2年春の選抜大会では準優勝。
チームが優勝した2年秋の都大会では、打率.432、4本塁打、13打点という好成績を挙げた。
3年時には春夏ともに、甲子園球場の全国大会に出場。
春の選抜大会で通算打率.529(17打数9安打)を記録すると、5番打者を任された夏の選手権大会では、通算打率.500(26打数13安打2本塁打)でチームを優勝に導いた。
3年秋には、山口国体でも優勝を経験。
在学中には、通算で32本塁打を記録した。
大学時代 明治大学への進学後は、1年時から右翼・中堅のレギュラーを確保し、3番打者へ起用。
東京六大学野球では、春季リーグ戦で20安打を放った末に、打率.417でベストナインに選ばれた。
2年時には、チームの春秋リーグ戦優勝に貢献。
秋季には、通算13安打で打率.295ながら、自身2度目のベストナインに選ばれた。
大学4年の時には、2015年夏季ユニバーシアード野球日本代表に選出。
東京六大学の秋季リーグ戦では、大学の先輩・高田繁が1967年に樹立した通算最多安打のリーグ記録(127安打)に並ぶと、記録を131安打にまで更新した。
在学中には、リーグ戦通算で102試合に出場。
404打数131安打、打率.324、8本塁打、45打点、18盗塁という成績を残し、ベストナインも6回受賞している。
また、卒業学部である文学部の2017年度版パンフレットの表紙に私服姿で登場している。
2015年のNPBドラフト会議では、阪神タイガースと東京ヤクルトスワローズから1巡目で指名され、抽選の末に阪神が交渉権を獲得した。
抽選の際には、ヤクルトの一軍監督の真中満が、外れくじを当たりくじと誤認したままガッツポーズを披露。
真中は阪神の一軍監督である金本知憲がくじを開く前にガッツポーズを見せ、金本もくじの結果を確認しなかったため、会議を運営するNPBの事務局が抽選結果を一時誤って発表した。
結局、事務局は金本が当たりくじを引いたことを確認したうえで、抽選結果を訂正。
また、同会議で阪神は、大学でのチームメイト・坂本誠志郎を2巡目で指名した。
なお、この会議の直前(2015年10月18日)に、慶応義塾大学との東京六大学野球春季リーグ戦の打席でファウルを打った際に右手首を故障。
同月21日に右手有鈎骨の骨折が判明したため、会議直後の26日に手術を受けた。
手術後には、契約金1億円プラス出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は、同年までマット・マートンが着用していた9。
2016年、前述した手術の影響で、春季キャンプを二軍で迎えた。
2月25日に一軍へ合流すると、同日の練習試合で金本から高い評価を受け、その後も「プロの投手に慣れることを最優先に起用する」という金本の方針で、オープン戦14試合に出場。
スタ…

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