植田海, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3093712 / CC BY SA 3.0

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#1996年生
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植田 海(うえだ かい、1996年4月19日 – )は、滋賀県甲賀市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投両打。
阪神タイガース所属。
2人兄弟の長男として出生した後に、小学校2年時に「甲南第二スポーツ少年団」で野球を始めた。
当時は遊撃手と投手を務め、中学生時代に所属したボーイズリーグの「湖南ビッグボーイズ」から遊撃手に専念している。
中学卒業後に山梨県の日本航空高校へ進学したが、1年時を終了する間際の2月に自主退学。
地元に近い近江高校へ転校した。
転校に関する日本高校野球連盟の規定で、転校後1年間は公式戦出場を見合わせたが、3年時には正遊撃手として第96回全国高等学校野球選手権大会に出場。
チームは3回戦で敗退したが、自身は大会通算で打率.571、3盗塁を記録した。
2014年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから5巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は62。
2015年、高知県安芸市の二軍春季キャンプで、持ち前の俊足と堅実な守備力を発揮。
3月7日には、新入団選手のお披露目を兼ねた暫定措置ながら、埼玉西武ライオンズとのオープン戦(阪神甲子園球場)で初めて一軍のベンチに入った(降雨ノーゲームのため試合には不出場)。
この試合以降は、シーズンを通じて二軍生活に終始。
5月3日に広島東洋カープとのウエスタン・リーグ公式戦(広島東洋カープ由宇練習場)で先頭打者として戸田隆矢からプロ初本塁打を放ったが、その直後から腰痛に悩まされた。
ウエスタン・リーグ公式戦には、通算51試合の出場で、打率.200、1本塁打、5打点、6盗塁を記録。
シーズン終了後の秋季キャンプで一軍に抜擢された。
2016年には、二軍監督に就任した掛布雅之の勧めで、スイッチヒッターへ転向。
ウエスタン・リーグ公式戦には、主に遊撃手として76試合へ出場した。
打率こそ.168にとどまったが、12回の盗塁企図をすべて成功させるなどの走力を買われて、9月30日にプロ入り後初めて出場選手登録。
チームのレギュラーシーズン最終戦であった翌10月1日の対読売ジャイアンツ戦(甲子園)の6回裏二死に、俊介の代走として一軍公式戦にデビューを果たした。
ただし、次打者・岩貞祐太への初球に二塁への盗塁に失敗して交代したため、一軍公式戦では1つの盗塁死を記録しただけでシーズンを終えた。
シーズン終了後に開催された第1回WBSC U-23ワールドカップでは、日本代表の「2番・遊撃手」として、チームの優勝に貢献。
全9試合にスタメンで起用され、大会通算打率.300(30打数9安打)、9試合通算で6つの盗塁を成功させ、大会の盗塁王に選ばれた。
2017年、プロ入り後初めて沖縄県宜野座村での一軍春季キャンプに参加。
参加メンバー中最年少(20歳)であったが、キャンプ終了後に二軍へ回った。
8月30日の対東京ヤクルトスワローズ戦(甲子園)8回裏に、代走でこの年初めて一軍公式戦へ出場。
三塁まで進んだ後に、一死満塁から大山悠輔の中飛で本塁へ生還し、一軍公式戦での初得点を記録した。
9月2日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)では、「2番・遊撃手」として、一軍公式戦で初めてスタメンに起用。
1回裏の一軍初打席で高校の先輩・小熊凌祐から左打席で一軍初犠打、7回裏の第4打席で福敬登から右打席で一軍初安打(遊撃への内野安打)を記録した。
レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦13試合の出場で、打率.278、1盗塁を記録。
シーズン2位で臨んだ横浜DeNAベイスターズとの2017年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ1stステージ(甲子園)でも一軍への帯同を続けた。
チームは10月17日の第3戦でステージ敗退が決まったものの、5回裏に代打でポストシーズン初打席を迎えると、ジョー・ウィーランドから二塁打を放った。
ウエスタン・リーグの公式戦には、96試合に出場。
打率.206ながら、リーグ2位の25盗塁を記録した。
2018年、春季キャンプからの一軍帯同を経て、プロ入り後初めて開幕一軍入りを果たしたが、開幕当初は主に代走や遊撃の守備要員として出場。
当時正二塁手だった上本博紀が故障で戦線を離脱した5月中旬以降は、それまで主に遊撃を守っていた糸原健斗が二塁へ回ったことなどを背景に、「1番・遊撃手」としてのスタメン起用が続いた。

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