坂口智隆, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=408476 / CC BY SA 3.0

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坂口 智隆(さかぐち ともたか、1984年7月7日 – )は、兵庫県神戸市生まれ・明石市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。
右投左打。
東京ヤクルトスワローズ所属。
愛称は「グッチ」。
2020年シーズン終了時点の現役NPB選手でただ1人、大阪近鉄バファローズに所属した経験を持つ。
小学2年時に軟式野球の「鵯台ライオンズ」で野球を始め、投手で4番。
明石市立望海中学校時代は硬式野球のヤングリーグ「神戸ドラゴンズ」でプレー、チームの1年先輩には栗山巧がいた。
神戸国際大学附属高等学校に進学後、1年秋から背番号1を着けてエースとなり秋季近畿大会でベスト4入りし、翌春に春夏通じて同校初の甲子園出場となる第73回選抜高等学校野球大会にエースで5番として出場。
3年時は背番号1のままながら外野手として出場することが多かった。
夏の全国高等学校野球選手権兵庫大会では準決勝で金刃憲人を擁する市立尼崎高校を相手に9回裏2死から5点差を逆転してサヨナラ勝ちし、決勝では尾崎匡哉・大谷智久らを擁する報徳学園高校に敗れたものの準優勝。
高校通算23本塁打。
2002年度ドラフト会議にて高井雄平の交渉権を抽選で逃した大阪近鉄バファローズから1巡目指名を受けて入団、神戸国際大附高出身者初のプロ野球選手となった。
また、大阪近鉄バファローズ最後のドラフト1位指名選手でもあった。
4番を打っていた打撃と俊足強肩の身体能力を買われて外野手に転向。
2003年はウエスタン・リーグで打率.302を残し、ドラフト指名を受けて入団した高卒野手では球団史上8人目となる1年目での一軍初出場を果たし、初安打も記録した。
オリックス時代(2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて) 2005年から球団合併に伴う入団2年以内の選手への措置でオリックス・バファローズ所属となり、二軍で打率.285、13盗塁を記録。
2006年も二軍で54試合出場、打率.328、12盗塁を記録。
オフにはハワイ・ウィンターリーグへ派遣された。
2007年はオープン戦で結果を残し、テリー・コリンズは「平野恵一が離脱している中で1番バッターは彼以外いない」と絶賛。
1番中堅手で初の開幕スタメン出場を果たし、初回に同年のチーム初安打を放った。
5月初旬に打撃不振で二軍に降格するも、シーズン終盤に再昇格後はレギュラーに定着し、9月以降は3割近い打率を残し猛打賞も記録。
二軍では48試合に出場、打率.317、チームトップの10盗塁を記録。
2008年も開幕1番に選ばれ、前半戦は好調を維持。
夏場以降は打率が下がり三振も増えたが、主に1・2番打者として、タフィ・ローズと並ぶチーム最多の142試合に出場、初めて規定打席に到達するなどレギュラーに定着した。
6三塁打・13盗塁(後藤光尊と同数)はチームトップ、安打数・犠牲バント数・犠牲フライ数はいずれもチーム2位を記録し、満塁時には9打席で7打数6安打11打点と満塁男ぶりも見せた。
守備でも外野手としてリーグ3位の7補殺を記録し、ゴールデングラブ賞を初受賞した。
一方で、全打席の半分以上で、3球目までに打った打撃スタイルとチーム4位の三振数を記録した、追い込まれてからの脆さから四死球が少なく、アベレージタイプの打者としては出塁率が低い事や、サウスポーに対し打率.232に終わるなど課題も残した。
2009年は、シーズン途中から元近鉄選手用の汎用応援歌に替わり、新たに専用応援歌が作られた。
オープン戦では打率.349と好調だったが開幕後は5月初旬まで打率1割台と打撃不振に陥り、同年から加入した近鉄時代のチームメイトでもある大村直之が1番を打つようになった。
その後は徐々に復調していき、6月からは大村に替わって再び1番打者に定着。
5月以降は7月以外全て月間打率3割以上で8月には月間打率.386、イチロー以来球団史上2人目となる月間40安打を記録し、最終的にはチームトップの137試合に出場してチーム内の規定打席到達者で唯一の打率3割となるリーグ2位の打率.317に同2位の167安打、前年の自己最多を更新するチームトップでリーグ10位の16盗塁を記録。
また、リーグ6位の出塁率.381で左投…

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