中川圭太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3885904 / CC BY SA 3.0
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中川 圭太(なかがわ けいた、1996年4月12日 – )は、大阪府阪南市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投右打。
オリックス・バファローズ所属。
阪南市立尾崎小学校1年時から尾崎ボーイズ、阪南市立尾崎中学校への在学中に泉佐野リトルシニアでプレー。
中学3年時の2011年には、AA日本代表のメンバーとして、IBAF主催の第14回U-16世界選手権へ出場した。
この時のチームメイトに、淺間大基・田嶋大樹・立田将太などがいた。
PL学園高等学校へ進学すると(詳細後述)、1年秋から、一塁手としてレギュラーに定着した。
しかし、チームメイトの1人が学内の合宿所で下級生の部員へ暴力を振るっていたことが発覚(2013年2月)。
チームが日本高校野球連盟から6か月間の対外試合禁止処分を受け、監督の河野有道は引責辞任となった。
2年夏の選手権大阪大会後に処分が解除されると、校長の正井一真が新監督、二塁手に転向した中川が主将に就任。
正井に野球のプレー経験がないことから、処分解除後の練習や対外試合では、中川が事実上チームを指揮していた。
主将就任直後の秋季大阪府大会と、3年夏の選手権大阪大会では、チームを決勝に導いている。
在学中は対外試合で通算28本塁打。
3年生だった2014年の秋にプロ志望届を提出したが、この年のNPBドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、東洋大学へ進学した。
東洋大学では上茶谷大河・甲斐野央・梅津晃大・藤井聖と同級生で、入学直後から東都大学野球の春季リーグ戦に出場。
当時2部に所属していたチームを、秋季リーグ戦での優勝や、駒澤大学(1部最下位)との入れ替え戦勝利に導いた。
チームが1部に復帰した2年時からは、チームの3季連続優勝に貢献。
2年の秋には指名打者、3年の春・秋と4年春には二塁手としてベストナインに選ばれている。
在学中には、3年時から4番打者、4年時に主将を務めながら、リーグ戦で通算101試合に出場。
打率.285、109安打、9本塁打、59打点、7盗塁を記録した。
また3年時の夏には大学日本代表に選ばれ第41回日米大学野球とユニバーシアードに出場。
ユニバーシアードでは、大会トップの打率(.500)と打点(13)を記録し、代表チームの全勝優勝に貢献した。
4年時の2018年秋、プロ志望届を改めて提出。
NPBドラフト会議7巡目でオリックス・バファローズから指名された。
契約金2,500万円、年俸700万円(金額は推定)で、PL学園高校出身者として史上68人目のNPB選手になった。
背番号は67。
この会議では、上茶谷が1巡目で横浜DeNAベイスターズ、甲斐野が1巡目で福岡ソフトバンクホークス、梅津が2巡目で中日ドラゴンズから指名を受け、いずれも入団した。
中川自身は『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』(TBSテレビ)の密着取材を受けており、同番組への出演中に自身の指名を見届けた。
2019年は春季キャンプを二軍で過ごしたが、3月9日に読売ジャイアンツとのオープン戦(京セラドーム大阪)で一軍にデビュー。
チーム事情による1日限定の一軍昇格ながら「6番・指名打者」としてスタメン起用され、2安打1打点を記録した。
4月20日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)9回表、代打で一軍公式戦デビュー。
一軍公式戦で初めてスタメン(7番・三塁手)に起用された4月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、3回表の第1打席で初安打を放つと、9回表の第4打席で初打点を適時三塁打で記録した。
以降の公式戦では、外野手やクリーンアップにも起用されながらスタメンに定着。
「2番・右翼手」に起用された5月10日の対楽天戦(ほっともっとフィールド神戸)5回裏の第3打席で一軍公式戦の初本塁打を美馬学から放った。
セ・パ交流戦では全18試合に出場し、交流戦の規定打席に到達したNPB全12球団の70選手中トップの打率.386を記録。
新人選手としては交流戦史上初の首位打者となった。
交流戦の終盤から、一軍の試合で初めて4番打者に起用された6月29日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)まで6試合連続で複数安打を記録し…
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