三上朋也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2895335 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#岐阜県立岐阜商業高等学校出身の野球選手
#法政大学野球部の選手
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#ENEOS野球部及びその前身チームの選手
#横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
#キャンベラ・キャバルリーの選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#岐阜県出身の人物
#1989年生
三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 – )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(投手)。
横浜DeNAベイスターズ所属。
妻は、東海テレビ出身のフリーアナウンサー・関根和歌香。
DeNA時代 横浜スタジアムにて (2014年3月8日) 岐阜県多治見市立南ヶ丘中学校3年生の時に、全国中学校軟式野球大会への出場を経験している。
岐阜県立岐阜商業高等学校の2年生の夏に、内野手として第88回全国高等学校野球選手権大会に出場。
1回戦の対智弁学園和歌山高等学校戦に「7番・三塁手」として出場し、1安打を放ったがチームは敗れた。
3年生で投手に転向したが、全国大会への出場は果たせなかった。
1m90cm台の長身、高校通算18本塁打の長打力、投手としてエースを務めた強肩を買われて、2007年のドラフト会議の前には、複数の球団が三上を「野手」として指名する動きを見せていたが、投手にこだわる三上は法政大学へ進学した。
法政大学では東京六大学野球のリーグ戦通算10勝8敗、防御率2.52という成績を残した。
大学の1年先輩・加賀美希昇、1年後輩の三嶋一輝とは、後にDeNAでもチームメイトになっている。
大学卒業後は、JX-ENEOSへ入部。
入部2年目には先発投手として、都市対抗野球大会でチームの大会史上最多優勝(11回)およびチーム51年振りの連覇に貢献した。
2013年のNPBドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから4巡目で指名。
契約金5,000万円、年俸950万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は35。
2014年には、公式戦の開幕を一軍で迎えると、3月28日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に2番手投手としてプロ入り初登板。
この試合から中継ぎで8試合(12イニング)連続無失点を記録したことや、クローザーを任されていたホルヘ・ソーサが開幕から不調だったことを受けて、4月29日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)から「野球人生で初めて」というクローザーへ転向した。
5月6日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)から5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)までの登板で7セーブを記録。
新人投手による月間最多セーブの球団記録を更新した。
オールスターゲームにも、セントラル・リーグの監督推薦選手として出場。
9月14日の対巨人戦(東京ドーム)で19セーブを記録し、新人投手によるシーズン最多セーブの球団新記録(当時)を達成した。
シーズンを通じて一軍へ帯同し、一軍公式戦でチーム最多の65試合に登板。
13試合に登板した巨人戦では、3ホールド、6セーブ、防御率0.00という好成績で、チームの9年振りカード勝ち越しに貢献した。
また、通算のセーブ数は21で、NPBの新人投手としては歴代5位の多さであった。
シーズン終了後の12月11日には、推定年俸3,200万円で契約を更改し、年俸の一部を横浜スタジアムの年間シート(2席)の購入に充てる意向を示した。
2015年には、春季キャンプ中に右肘が炎症を起こし、一軍公式戦でのシーズン初登板は8月8日の対阪神タイガース戦(横浜)まで持ち越された。
さらに、新人の山﨑康晃がクローザーに定着していたため、主に山崎につなぐセットアッパーに起用された。
9月29日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では、同点で迎えた9回裏に登板し、先頭打者・江越大賀へ振り逃げを許した際に暴投を記録。
この暴投によって、チームのシーズン暴投数がNPBタイ記録の68に達した。
さらに、野手陣の失策と捕逸で江越を本塁に生還させ、被安打・与四死球0ながらサヨナラ負けを喫した。
一軍公式戦での登板数は前年の3分の1(21試合)にとどまり、12月15日に推定年俸3,000万円(前年から200万円減)という条件で契約を更改。
ただし、通算の防御率は0点台と低く、山崎が調子を落とした9月には一時クローザーへ復帰した。
シーズンの序盤には、自身と同じ法政大学出身で5歳年上の関根和歌香と結婚している。
2016年には、オールスターゲームに、セントラル・リーグの監督推薦選手として2年振りに出場。
山崎が極度の不振に陥…

WACOCA: People, Life, Style.