スコット・エアー, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1149050 / CC BY SA 3.0

#アメリカ合衆国の野球選手
#在カナダ・アメリカ人の野球選手
#シカゴ・ホワイトソックスの選手
#トロント・ブルージェイズの選手
#サンフランシスコ・ジャイアンツの選手
#シカゴ・カブスの選手
#フィラデルフィア・フィリーズの選手
#ワールドシリーズ優勝選手
#カリフォルニア州イングルウッド出身の人物
#1972年生
スコット・アラン・エアー(Scott Alan Eyre , 1972年5月30日 – )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡イングルウッド出身の元プロ野球選手(投手)。
左投左打。
弟のウィリー・エアーもミネソタ・ツインズ等でプレーした元メジャーリーガーで、こちらは右投手である。
1991年のMLBドラフト9巡目(全体248位)でテキサス・レンジャーズから指名を受け、プロ入り。
メジャーデビューまでの道のりは決して平坦なものではなく、マイナーリーグで移籍した後、1997年にシカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューを果たした。
1997年は5.00台の防御率だったものの、11試合に先発投手として登板し、4勝(4敗)を挙げた。
1998年は先発で17試合、リリーフで16試合に登板。
しかし、勝ち星は3勝(8敗)止まりで防御率も1997年より悪化してしまった。
1999年はリリーフ専門で21試合に登板したが、防御率は7.00台に乗ってしまい、全く結果を残せない状態が続いた。
2000年は先発での1試合を含む13試合に登板。
改善の兆しが少し見えたとは言え、防御率は6.00台とメジャーに定着するには苦しい成績だった。
2001年からはトロント・ブルージェイズでプレイする事になったが、これまでの成績が悪かった為、登板は17試合に終わった。
しかし、防御率3.45、2セーブを記録し、メジャー定着のきっかけを掴んだ。
2002年はブルージェイズでリリーフ投手としてフル回転。
49試合に登板した後、シーズン途中でサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。
ここでも21試合に登板し、ジャイアンツ移籍後は1.00台の防御率を記録するなど、今までのエアーからは考えられないような大車輪の活躍を見せた。
2003年は、年間通じてジャイアンツでプレイし、自己ベストの74試合に登板。
3.00台の防御率を記録し、左のワンポイントとしてジャイアンツに欠かせない存在となった。
2004年は2003年を上回る83試合に登板。
防御率こそ4.00台だったものの、対左打率.200(対左打率.240)を記録。
前の投手から引き継いだランナー45人のうち、35人の生還を防いだ(生還阻止率約77.8%)。
2005年からは、左右に関係なく登板する機会が増え、登板試合数は5年連続で自己ベストを更新。
防御率も2.00台に下降し、リーグはおろかメジャーを代表するリリーフ投手となった。
2006年からはシカゴ・カブスに移ってプレイする事になったが、新天地でも74試合に登板し、防御率3.38ときっちり結果を残した。
しかしながら、2008年は自身の故障に悩まされたことに加え、若手の台頭や同じリリーフ左腕としてニール・コッツが登板機会を増やしていたこともあり、登板機会が減少。
8月5日にケリー・ウッドが故障者リストから復帰してくるため、同日付けで40人枠から外れることが決まり、実質的な戦力外通告を受けた。
2日後の8月7日にブライアン・シュリッターとのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。
移籍後は防御率1.88と好投、フィリーズのワールドシリーズ制覇に貢献した。
2010年1月7日、現役引退を表明した。
フォーシームとスライダーを中心としたピッチングで三振をどんどん奪うピッチングを見せる。
右打者にはチェンジアップが有効に機能している。
また、ジャイアンツで防御率が大幅に改善された最大の理由は、フライでアウトを稼ぐピッチングが持ち味だからである(ジャイアンツの本拠地であるオラクル・パーク:当時はSBCパーク:は球場面積が広く、海からの風で本塁打が出にくい。その証拠に、カブスでプレイした2006年には被本塁打が11本と、突然2ケタに増えている。カブスの本拠地リグレー・フィールドは風向きの関係で打者に有利)。

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