パブロ・オズーナ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1271201 / CC BY SA 3.0
#ドミニカ共和国の野球選手
#フロリダ・マーリンズの選手
#コロラド・ロッキーズの選手
#シカゴ・ホワイトソックスの選手
#ロサンゼルス・ドジャースの選手
#ドミニカ共和国のドーピング違反選手
#ドーピング違反の野球選手
#サントドミンゴ出身の人物
#1974年生
#存命人物
パブロ・ホセ・オズーナ(Pablo Jose Ozuna、1974年8月25日 – )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(ユーティリティプレーヤー)。
右投右打。
ポジションは主に外野手で、他に二塁手・遊撃手・三塁手・一塁手でのプレー経験がある。
プロ入り2年目の1998年、セントルイス・カージナルス傘下のA級ピオリア・チーフスで133試合に出場して打率.357・出塁率.400・OPS.894・62盗塁の好成績を収め、ベースボール・アメリカ誌のマイナー代表チームとミッドウェスト・リーグのトップ・プロスペクトに選出され、MVPにも輝くなど、メジャー昇格への足がかりを掴む。
同年12月14日にエドガー・レンテリアとのトレードで、アーマンド・アルマンザ、ブレイデン・ルーパーの両投手と共にフロリダ・マーリンズへ移籍。
2000年にマーリンズからメジャーデビュー。
わずか14試合の出場ながら、打率.333をマーク。
翌年以降の期待を抱かせた。
翌2001年は怪我に泣いて全休したが、2002年は2年前の2倍以上の34試合に出場し、打率.277をマーク。
2003年にコロラド・ロッキーズへ移籍。
わずか17試合・打率.200に終わった。
2004年はメジャーリーグでのプレー機会は無かった。
2005年にシカゴ・ホワイトソックスに移籍すると、複数のポジションをこなすユーティリティープレーヤーや代走・右の代打として、チームの世界一に貢献。
当時、腰に故障を抱えていたジョー・クリーディやメジャー1年目だった井口資仁らの休養日の代役として、ウィリー・ハリスやティモ・ペレスらと共に大きな役目を担った。
そして、主に控えでの出場ながら、自己最多の14盗塁をマーク。
2006年もアレックス・シントロンやロブ・マコーヴィアクらと共にユーティリティーとしてプレーし、自己最多の79試合に出場し、打率.328・メジャー初本塁打を含む2本塁打をマークした。
また、8月24日のデトロイト・タイガース戦では左翼の守備で、ショーン・ケーシーを一塁でアウトにしてレフトゴロを記録した。
2008年7月20日にロサンゼルス・ドジャースと契約した。
オフにFAとなった。
2009年1月15日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約。
同年6月11日、禁止薬物に陽性反応を示し、50試合の出場停止処分が下る。
2010年は独立リーグのニューアーク・ベアーズでプレーした。
1999年当時は、「選球眼が甘く四球を選べないものの、コンタクトに優れ、スピードとクイックネス(初動の速さ)を兼ね備えた優れた走者で遊撃守備も上手い」と評され、「(前年オフに)マーリンズがレンテリアを放出してまでトレードに応じたのは、オズーナを欲したからだ」と言われたほど将来を嘱望されていた。
WACOCA: People, Life, Style.