榎本葵, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2221565 / CC BY SA 3.0

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#東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手
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榎本 葵(えのもと あおい、1992年7月24日 – )は、神奈川県川崎市多摩区出身の元プロ野球選手(外野手)。
左投左打。
小1から野球を始め、リトルシニアでは投手兼外野手として全国優勝を果たす。
九州国際大学付属高等学校時代は、2009年に夏の甲子園に4番打者として出場。
高校通算47本塁打。
広角に長打を打てる上にかなり脚が速いところから「九州のイチロー」と呼ばれた。
2学年先輩に二保旭、1学年先輩に河野元貴、1学年後輩に三好匠、髙城俊人、2学年後輩に古長拓がいる。
2010年のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
入団当初の背番号は36。
2011年には、一軍昇格の機会はなかったものの、イースタン・リーグ公式戦36試合に出場。
少ない打数ながら、打率3割を記録した。
2012年には、自身と同じ左打ちでレギュラー外野手の鉄平が右肩の痛みを訴えたことから、鉄平に代わって5月26日にプロ入り後初の一軍選手登録を果たした。
以降の試合では、プロ初安打を放ったほか、スタメンでも出場。
6月6日に鉄平が一軍へ復帰した後も、同月18日に出場選手登録を抹消されるまで、引き続き一軍へ帯同していた。
7月19日にHARDOFF ECOスタジアム新潟で開かれたフレッシュオールスターゲームでは、イースタン・リーグ選抜の3番・右翼手としてフル出場。
4打数2安打の活躍で優秀選手賞を獲得した。
2013年には、2月のオープン戦の試合前に、他の選手による遠投の球で右頬を骨折。
その影響で、開幕から二軍での調整を余儀なくされた。
一軍のレギュラー外野手・聖澤諒の負傷によって、8月21日にこの年初めて一軍登録。
8月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)では、8回裏に4番打者・アンドリュー・ジョーンズの代走で出場してから、9回裏に迎えたこの年初打席で右中間へサヨナラ安打を放った。
この安打では、一軍での初打点を挙げている。
2014年には、春季キャンプから一軍への帯同を続けた結果、自身初の開幕一軍登録を果たした。
レギュラーシーズン通算では、代走や守備要員を中心に、一軍公式戦24試合に出場した。
また、シーズン終了後に開催された第1回U-21野球ワールドカップでは、オーバーエイジ枠で日本代表のメンバーに招集。
全8試合に先発で出場するとともに、20打数5安打2打点13四球という成績でチームの準優勝に貢献した。
2015年には、一軍公式戦15試合へ出場。
4試合でスタメンに起用されたほか、3得点を記録したが、打撃面では18打数1安打(打率.056)という成績にとどまった。
10月にはフェニックス・リーグに参加したが、球団は10月26日に榎本の支配下選手契約を解除。
11月19日には、育成選手として球団と再び契約を結ぶとともに、背番号を036に変更した。
2016年には、イースタン・リーグ公式戦60試合に出場。
1本塁打、16打点、3盗塁、打率.287という成績を残した。
しかし、支配下登録選手への復帰を果たせないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた。
10月31日にNPBから自由契約選手として公示されたが、NPB他球団での現役続行を希望していたため、11月12日には12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)に参加。
シートバッティング形式の対戦で、5人の投手を相手に、5打数1安打1四球2三振という結果を残した。
2016年11月25日に、東京ヤクルトスワローズが榎本の獲得を発表した。
支配下登録選手としての契約で、背番号は64。
2017年10月3日に、球団から自身2度目の戦力外通告を受けた。
11月15日に、昨年に引き続き12球団合同トライアウト(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に参加。
4打席で2安打1本塁打1四球という成績を残したが、NPB球団からの獲得には至らなかった。
トライアウト後、東京都足立区を拠点に活動する社会人野球・クラブチームのREVENGE99への入部が決まった。
会社員として勤務しながらプレーすると報じられた。

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