ヘクター・デラクルーズ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2393144 / CC BY SA 3.0
#ドミニカ共和国の野球選手
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#中信兄弟及びその前身球団の選手
#富邦ガーディアンズ及びその前身球団の選手
#1965年生
#存命人物
ヘクター・フリオ・デ・ラ・クルーズ(Héctor Julio De La Cruz, 1965年12月5日 – )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
日本球界での登録名は「デラクルーズ」、台湾球界での登録名は「克魯茲」。
1984年にトロント・ブルージェイズと契約。
同球団の傘下マイナーリーグで1990年までプレーしたが、メジャーへの昇格はならなかった。
50m走5.9秒の俊足や強肩を誇り、外野手、三塁手、一塁手が務められる点などが評価され、二軍で育てる方針で読売ジャイアンツが1991年1月16日に年俸1,500万円(推定)で入団契約を結んだ。
同年は呂明賜やフィル・ブラッドリーも巨人に在籍しており、外国人枠の制限もあって開幕は二軍で迎えた。
呂の打撃不振で5月17日に一軍に昇格し翌5月18日にスタメンで一軍初出場を果たしたものの、5月24日に一軍登録を抹消された。
二軍でも35試合で打率.267、1本塁打と成績が低迷していた事から将来性に乏しいと判断され、7月15日に解雇が決まった。
なお、ブラッドリーも打撃不振だったことからデラクルーズの後任としてデニー・ゴンザレスが入団している。
1992年から1993年までは中華職業棒球聯盟(CPBL)の兄弟エレファンツ、1996年は興農ブルズでプレー。
CPBLでは遊撃手を務めることも多く、ユーティリティプレイヤーとして活躍。
1997年から1999年まではメキシカンリーグでプレーし、現役を引退した。
2006年から2012年までアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下マイナーリーグの監督を務めた。
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