島本浩也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2222985 / CC BY SA 3.0

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島本 浩也(しまもと ひろや、1993年2月14日 – )は、奈良県大和高田市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。
阪神タイガース所属。
大和高田市立高田小学校1年時に「高田ヤマトイーグルス」で野球を始めると、中学時代は「橿原コンドルボーイズ」に所属した。
福知山成美高校への進学後、2年春にベンチ入りし、投手として同年秋の京都大会準優勝に貢献。
その後の近畿大会ではPL学園高校戦で10奪三振1失点完投勝利を収めるなどの活躍でチームをベスト8進出に導いた。
その一方で3年時に他部員の不祥事によりチームが対外試合禁止処分を受けており、その影響もあって甲子園大会には縁がなかった。
1学年後輩に桑原将志がいる。
2010年のNPB育成ドラフト会議で、阪神タイガースから2巡目で指名。
支度金200万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。
背番号は126。
2011年、ウエスタン・リーグ公式戦に1試合登板。
投球回数はわずか1イニングであった。
2012年は、ウ・リーグ6試合に登板。
シーズンの終了後には、台湾でのウィンターリーグにNPB選抜として参加し、14回2/3で23奪三振を記録。
また、10投球回以上の投手では参加全4チーム中唯一の防御率0点台(0.61)を記録した。
2013年、育成選手ながらオープン戦に抜擢されるも一死も取れないまま降板。
二軍では救援投手として25試合に登板。
しかし、投球回(23回 2/3)を上回る29被安打を記録し、防御率は4.94に上った。
この年で阪神に連続3シーズン在籍したため、シーズン終了に伴い自由契約選手として公示後、育成選手として再契約。
2014年には、ウ・リーグ公式戦17試合に登板。
先発投手としての登板機会が増え、1勝3敗、防御率3.40という成績を残した。
シーズン終了後には、前年に続いて自由契約選手として公示されたが、左投手を欠くチームのブルペン事情に加え二軍戦やフェニックスリーグでの好成績を受けて11月21日に支配下登録選手として契約を更改。
背番号は69に変更した。
阪神に育成入団した投手及び高卒選手の支配下登録はいずれも初の出来事。
2015年、左の中継ぎ候補として、沖縄宜野座での一軍春季キャンプに初参加。
臨時コーチとして参加していた江夏豊による指導をきっかけに、オープン戦で6試合連続無失点を記録したことから、阪神へ育成入団した選手では初めての開幕一軍登録を果たした。
4月2日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で、4点ビハインドの6回裏に、救援投手として一軍デビュー。
2回を1安打無失点に抑えた。
4月16日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、阪神へ育成入団した投手として初めてのホールドを記録。
その後は、2度にわたって一軍と二軍を往復しながらも、一軍公式戦で通算18試合に登板し防御率は8.84。
また、9月12日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)では、同点で迎えた12回裏に代走として出場(詳細後述)。
オフには推定年俸720万円(前年から300万円増)で契約を更改した。
2016年には、先発候補として2年続けて宜野座の一軍春季キャンプへ参加。
キャンプ序盤の2月3日に左足の内転筋を痛め投手陣で最も早いリタイアとなった。
オープン戦から一軍に復帰し、掛布雅之新二軍監督の初陣であった中日とのウ・リーグ開幕戦(3月15日)では、一軍の開幕ローテーション入りを視野に先発を任された。
しかし、4回6失点という内容で敗戦投手になったことにより、2年連続の開幕一軍入りを逸した。
5月21日にシーズン初の一軍昇格を果たした後は、中継ぎ要員として一軍に帯同。
7月24日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で1点ビハインドの5回裏二死一・二塁から救援登板し、丸佳浩を1球で一塁ゴロに打ち取ると、その直後の攻撃でチームが逆転しそのまま勝利したことによってプロ初勝利を挙げた。
阪神の投手が1球で一軍初勝利を挙げたのは初の出来事。
2017年には、高橋聡文や本格的に中継ぎ転向した岩崎優を筆頭に一軍で左投手が充実していたことなどから、一軍公式戦への登板機会がなかった。
二軍では先発を中心に27試合へ登板。
3勝4敗と負け越しながらも、防御率1.59という好成績を残した。
2018年、能見篤史が中継ぎに転…

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