カルロス・サンタナ (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2232837 / CC BY SA 3.0
#ドミニカ共和国の野球選手
#アメリカ合衆国の野球選手
#クリーブランド・インディアンスの選手
#フィラデルフィア・フィリーズの選手
#カンザスシティ・ロイヤルズの選手
#シルバースラッガー賞受賞者
#オールスター・フューチャーズゲーム選出選手
#MLBオールスターゲーム選出選手
#野球ドミニカ共和国代表選手
#ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表選手
カルロス・サンタナ(Carlos Santana, 1986年4月8日 – )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。
右投両打。
MLBのカンザスシティ・ロイヤルズ所属。
愛称はアクスマン/Axeman(中軸・中心人物の意)、エル・オソ/El Oso(スペイン語で「熊」)、スランタナ/Slamtanaなど。
2004年に三塁手兼外野手としてロサンゼルス・ドジャースと契約を結びプロ入り。
2005年にアメリカ合衆国へ渡り、マイナーリーグ最下層のルーキー級ガルフ・コーストリーグでプロデビューするが、この年は三塁手と外野手のほかに捕手や二塁手としても出場しており、ポジションが定まっていなかった。
2007年、A級グレートレイクス・ルーンズに所属していたサンタナは素質を見込まれて捕手へコンバートされる。
だが、それまで本格的なポジション変更を体験したことがなかったというサンタナにとって捕手挑戦は大きな負担となり、また参加するミッドウェストリーグが展開しているアメリカ合衆国北東部の涼しい気候に適応できなかったこともあって、86試合で打率.223、OPS.688と不振に陥った。
2008年はA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズに昇格したサンタナは復調。
シーズン途中まで99試合に出場して打率.323、14本塁打、96打点、OPS.993という好成績を残す。
2008年7月26日にケイシー・ブレイクとのトレードで、ジョン・メローンとともにインディアンスへ移籍。
ドジャース側がブレイクの年俸負担をインディアンスに求めたのに対し、インディアンス側はサンタナを差し出すことを条件にしたという。
移籍後はAA級アクロン・エアロズまで昇格。
シーズン終了後にベースボール・アメリカが発表した若手有望株ランキングでは、サンタナはインディアンス傘下の1位という高評価を受けた。
2009年も、AA級アクロンで130試合に出場し打率.290・23本塁打・97打点・OPS.943を記録し、参加するイースタンリーグのMVPを受賞した。
2010年は開幕をAAA級コロンバス・クリッパーズで迎えることになった。
自身の誕生日でもある4月8日に行われたインディアナポリス・インディアンスとのシーズン開幕戦でサンタナは、5打数4安打2本塁打4打点の活躍を見せた。
2本塁打は、1本目は4回裏の第2打席でジェレミー・パウエルから右中間へ、2本目は7回裏の第4打席でビニー・チュークから左翼へ、それぞれ放っている。
その後も打ち続けたサンタナは、6月10日までの57試合で打率.316・13本塁打・51打点・OPS 1.044という成績を残した。
一方の守備面では、インディアンスでコーチを務める元捕手のサンディー・アロマー・ジュニアに「彼にはまだ学び成長する必要がある」と指摘されていたが、5月下旬頃には球団GMのマーク・シャパイロから一定のレベルには達したと判断されるまでに成長。
6月11日、サンタナは同じ捕手のルー・マーソンとの入れ替わりでメジャーへの昇格を果たす。
同日のワシントン・ナショナルズ戦でサンタナはメジャー初出場。
主力選手のうちアズドルバル・カブレラとグレイディ・サイズモアが故障者リスト入りで欠場中という事情もあり、デビュー戦から3番打者としての先発出場となった。
この試合では3打数無安打に終わるが、翌12日の同じカードでは2回裏の第2打席にJ.D.マーティンから適時二塁打を放ちメジャー初安打・初打点を挙げると、5回裏の第3打席にはマーティンからメジャー初本塁打も放った。
この試合以降サンタナはOPS.850以上を維持し続け、また盗塁阻止率でも35.3%を記録するなど攻守に奮闘する。
だが8月2日のレッドソックス戦で7回裏の守備中、二塁走者ライアン・ケイリッシュの本塁突入をブロックした際に左膝を痛めて途中退場。
翌3日には故障者リスト入りとなり、6日に靭帯を手術してシーズンを終えた。
インディアンスの地元オハイオ州クリーブランドでは、サンタナの打撃力を生かすために故障の危険性が低いポ…
WACOCA: People, Life, Style.