小笠原慎之介, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3320516 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#東海大学付属相模高等学校出身の野球選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#神奈川県出身の人物
#1997年生
#存命人物
小笠原 慎之介(おがさわら しんのすけ、1997年10月8日 – )は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
中日ドラゴンズ所属。
弟は神戸三田ブレイバーズ投手の小笠原智一。
小学1年から善行スポーツ少年団で野球を始め、善行中学校では「湘南ボーイズ」に所属。
2年夏には全国ベスト4入り、3年夏には全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで優勝を果たし、代表選手入りしたU-15アジアチャレンジカップでも優勝を経験した。
この時期、長坂秀樹の野球塾で個人指導を受けていた。
東海大相模高校に進学すると1年春からベンチ入り。
2年の夏は第96回全国高等学校野球選手権大会に出場し、吉田凌らと「140キロカルテット」として注目を集めたが、初戦で松本裕樹擁する盛岡大附属高校と当たり敗戦した。
自身は1回1/3を投げ、無失点3奪三振と好投した。
3年夏には神奈川県大会で27回30奪三振、防御率0.00の成績で第97回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献。
甲子園では初戦の聖光学院戦ではリリーフ登板し、152km/hを記録した(スカウトのスピードガンが計測、球場表示は151km/h)。
決勝戦の仙台育英戦にて佐藤世那と投げ合い、同点の9回表には優勝を決める勝ち越しソロ本塁打を打った。
甲子園通算26回1/3、23奪三振、防御率3.08。
また2015 WBSC U-18ワールドカップの日本代表に選出され、2試合8イニングを投げて防御率0.00の好投で準優勝に貢献したが、その後の国体は左肘滑膜炎の影響で登板を回避した。
その後の2015年10月22日のプロ野球ドラフト会議にて、いずれも髙橋純平(福岡ソフトバンクホークスが交渉権獲得)の抽選に外れた中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズから1位指名を受け、抽選の結果中日が交渉権を獲得。
11月23日に契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円(いずれも推定)という高卒選手では球団初の最高条件で仮契約を結んだ。
12月11日に入団発表が行われ、背番号は前年限りで退団した川上憲伸の11を継承することとなった。
2016年は、開幕から二軍生活が続いていたが、5月31日に一軍に昇格し、対福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)でデビューした。
5回を投げて1安打1失点として勝利投手の権利を得て降板したものの、後を受けた投手が8回裏に逆転を許し勝ち星はつかなかった。
9月4日の対読売ジャイアンツ(東京ドーム)戦で、7回3失点、10奪三振の好投で、プロ初勝利を飾った。
この年は、打線の援護に恵まれなかったこともあり2勝に終わるが、防御率は3.36だった。
シーズン終了後の11月、左肘遊離軟骨除去手術を受けた。
2017年は、前年11月の左肘の手術の影響から、開幕は二軍で迎えた。
5月6日の対巨人戦(ナゴヤドーム)がこの年の一軍初登板になった。
しかしこの年もなかなか勝ち星が伸びず、8月5日の対巨人(東京ドーム)では3本の被本塁打を喫して「3回1/3、8失点」でKOされるなど、「一発病」に苦しむことになった。
9月19日の対巨人戦(ナゴヤドーム)で2失点でまとめて、プロ初完投での勝利投手になる。
最終的には、「5勝8敗、防御率4.84、投球回119」だったが、シーズンを通して被本塁打の多さに苦しみ、最終的な被本塁打数は21(両リーグでワースト1位)だった。
2018年は、オープン戦などの好投が評価され自身初の開幕投手を務めた。
7月28日の対巨人戦(東京ドーム)でプロ初完封勝利を挙げるなど、5勝を挙げていたが、8月11日の対ヤクルト戦(ナゴヤドーム)で左肘の違和感を訴え、翌8月12日に登録抹消。
9月4日に「左肘遊離体除去術および左肘頭形成術」を受けた。
2019年は、左肘手術からの復帰を目指していたが2月の投球練習中に左肩痛を発症し復帰が遅れ、6月24日のウエスタン・リーグ広島戦で実戦復帰。
一軍復帰登板となった8月10日のDeNA戦では5回2失点で勝利投手の権利を得て降板したが、後続投手が点差を守り切れずサヨナラ負け。
3度目の登板となった8月28日の阪神戦で396日ぶりの勝利を挙げた。
最終的には、3勝1敗、防御率2.56の成績を残した。
2020年は、プロ入り後最少となる4登板に終わり1勝しか挙げられず、防御率は7.11と自己ワーストの…

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