鶴岡慎也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1289601 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#樟南高等学校出身の野球選手
#三菱重工East硬式野球部及びその前身チームの選手
#北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手
#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#アジアシリーズ選手
#日本の野球指導者
#鹿児島県出身の人物
#1981年生
鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 – )は、鹿児島県肝属郡高山町(現・肝付町)出身の元プロ野球選手(捕手)。
右投右打。
肝付町立高山小学校時代は高山ソフトボールスポーツ少年団に所属していて投手だった。
高山中学ではボーイズリーグ・鹿屋ベイスターズで硬式野球を始め、投手を希望していたが監督により捕手へと転向させられた(断って投手を続けていたらプロにはなれなかったと振り返っている)。
捕手として全国大会で準優勝を経験。
樟南高校では捕手として甲子園に2度出場。
同級生に上野弘文、1年下に青野毅がいる。
2年の時の1998年は第70回選抜高等学校野球大会に出場したが1回戦でPL学園に敗れた。
夏は鹿児島大会準決勝で鹿児島実業高等学校の杉内俊哉に1失点で完投され敗退。
3年の時の1999年は主将を務め、夏の鹿児島大会では枕崎高校との準決勝では逆転打を含む2本の三塁打で活躍し、鹿児島実業との決勝戦ではエースを1失点完投勝利に導き決勝進出。
第81回全国高等学校野球選手権大会では秋田高校との1回戦で甲子園初本塁打を記録、準決勝の桐生第一(群馬県代表)戦で、後に日本ハムでチームメイトとなる正田樹と対戦し、敗れた。
全日本選抜チームとして出場した高校日米親善大会では正田とバッテリーを組んだ。
社会人野球の三菱重工横浜へ進み3番打者を任され、後に日本ハムでチームメイトとなる石井裕也とバッテリーを組んでいた。
2001年に日本ハムの入団テストを受けたが不合格となった。
2002年に再び日本ハムの入団テストを受けて合格し、11月20日、2002年度プロ野球ドラフト会議にて日本ハムファイターズから8巡目指名を受けて入団。
同クラブでは1993年石井貴以来のプロ野球選手となった。
なお、同年には日本ハム以外に福岡ダイエーホークスの入団テストも受けていた。
2003年、1年目はイースタン・リーグで45試合に出場し打率.231、2本塁打だった。
2004年、5月23日のイースタン・リーグ対湘南シーレックス戦の2回第1打席で若田部健一から右腕に死球を受け、右上腕尺骨を骨折。
約2か月間欠場したこともあり、二軍で25試合の出場にとどまった。
2005年、サンマリンスタジアム宮崎で行われたフレッシュオールスターゲームのメンバーに選ばれ、8番捕手として先発出場。
長峰昌司から先制本塁打を打ち、同試合の最優秀選手賞を受賞した。
9月3日に一軍へ昇格、9月7日の対西武戦で代打としてプロ初出場を果たし、松坂大輔にライトフライに打ち取られた。
9月25日の対オリックス・バファローズ戦では9番捕手として初のスタメン出場・フル出場を果たし、第2打席でジョッシュ・スチュワートから適時打を打ってプロ初安打・初打点を記録、さらにプロ初盗塁も記録した。
2006年、献身的なプレーを評価されプロ入り後初めて開幕を一軍で迎える。
正捕手だった髙橋信二の故障と不振から、髙橋と併用でスタメン起用されることが増える。
5月13日に札幌ドームで行われた対横浜ベイスターズ戦で初本塁打を記録し、これが決勝打となった。
5月18日の対阪神タイガース戦では逆転適時打を含む3安打でプロ初の猛打賞を記録した。
最終的にレギュラーシーズンは67試合に先発出場した。
プレーオフでは全2試合にフル出場を果たし、完封勝利を含む2試合18イニング1失点のリードで25年ぶりのチームのリーグ優勝に貢献。
日本シリーズは4試合に出場し無安打に終わったが、チームは日本一。
アジアシリーズでは11月12日のLa Newベアーズとの決勝戦で決勝打となる先制適時打を打ち、アジア制覇に貢献した。
2007年、開幕を一軍で迎えたが、正捕手は髙橋となり大半が控えでの出場となった。
スタメンマスクのほぼ半分がダルビッシュ有とのコンビで、安定したリードを披露し、専用捕手となっていた。
43試合に先発出場し、打撃では打率.203と前年から大幅に成績を落とした。
クライマックスシリーズ第2ステージではダルビッシュが先発した2試合で先発出場した。
10月18日の第5戦ではダメ押しの適時打で成瀬善久をノックアウトし日本シリーズ進出に貢献。
日本シリーズは4試合…
WACOCA: People, Life, Style.