佐々岡真司, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=175475 / CC BY SA 3.0
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佐々岡 真司(ささおか しんじ、1967年8月26日 – )は、島根県那賀郡金城町(現・浜田市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。
広島東洋カープ監督。
現役時代は投手として広島東洋カープで100勝100セーブやノーヒットノーランを達成するなど活躍した。
町立雲城小学校3年で野球を始め、町立金城中学校では内野手であった。
島根県立浜田商業高等学校2年時に投手に転向。
以来、県内屈指の投手として注目を集めたが、夏の甲子園・春のセンバツには共に縁がなかった(3年時(1985年)には、夏の甲子園島根県予選にてベスト4の成績を残している)。
卒業後は、NTT中国野球部に入部。
ソウルオリンピック代表にこそ選ばれなかったものの、アマチュア時代から既に、そのスライダーの切れ味はプロでも通用すると言われていた。
1989年の第60回都市対抗野球大会には、三菱重工広島の補強選手として出場し、初戦で与田剛(NTT東京)と投げ合い完投勝利してベスト8。
同年のプロ野球ドラフト会議で野茂英雄に8球団が競合するなかで希望球団だった広島東洋カープから1位指名を受け、入団する。
現役時代 2004年2月18日 日南市天福球場にて プロ1年目の1990年、4月12日に初登板初先発を初勝利で飾り、スライダーを武器に2桁勝利・2桁セーブを挙げ、当時の日本プロ野球(以下:NPB)新記録となる17試合連続セーブポイントも記録するなど、投手陣の主軸として活躍。
8月14日に広島市民球場で開催された対中日ドラゴンズ戦では郭源治からNPB1号であるサヨナラ本塁打を打っている。
新人王には、史上初の新人で最優秀救援投手に輝いた与田剛が選出されたが、セントラル・リーグ会長特別賞が贈られている。
なお、初登板初勝利はドラフト制導入以後に限れば球団初、ドラフト導入以前を含めても38年ぶり3人目の快挙だった。
1991年は先発に専念。
シーズンを通して17勝・防御率2.44を挙げ、最多勝利、最優秀防御率の二冠に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献すると共に、シーズンMVP、沢村賞、ベストナイン(最優秀投手)を獲得。
この年、4月25日の対阪神タイガース戦の3回から5月11日の対中日戦の7回まで、4試合にかけて30イニング連続無失点の球団新記録を達成(2009年に大竹寛が更新)。
また、10月23日の西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦(広島市民球場)で先発し、8回一死まで無安打無得点に抑えた。
1992年、12勝を挙げ、プロ入り以来3年連続2桁勝利を記録するが、翌1993年には連続2桁勝利が途切れ、この年のセ・リーグ最多敗を記録している(この年に記録した17敗はそれ以降、2019年時点でこれを超えるシーズン敗戦記録の投手は現れていない)。
1994年、開幕直後の4月13日対ヤクルト戦ではに死球を与えたジェラルド・クラークが激昂して、マウンド付近で転倒させられるアクシデントに見舞われた。
オールスター前までは先発としてマウンドに上っていたが先発では4勝6敗防御率3.95と決して良い状態では無かったこともあり、シーズン後半からはチームの事情によりセットアッパーへ転向。
27試合の登板ながらイニング数は52回1/3を投げ3勝3敗6S防御率2.75と好成績を挙げた。
三村監督の計らいで最終試合に先発し年間規定投球回数もクリアした。
抑えの大野豊と共に投手陣を支えた。
1995年、プロ入り6年目で初の開幕投手を務め、勝利投手となる。
この年もシーズン当初は先発だったが、抑えの大野が不調に陥り先発に転向したため、入れ替わりでストッパーに転向した。
1996年、プロ入り後初めて、シーズンを通して抑えに定着。
最速152km/hのストレートと縦に大きく割れる独特のカーブを武器に活躍し、自己最多の23セーブを記録。
前年は先発、同年はリリーフとして2年連続で開幕戦の勝利投手となる。
6月26日から6月30日にかけて、5日連続セーブの新記録を達成。
7月23日のオールスター第3戦の9回に登板、堀幸一、小久保裕紀、ブリトーを3者連続見逃し三振に仕留めて優秀選手賞を受賞。
11月に行われた日米野球では第1戦と第3戦にリリーフで1イニングずつ登板し、第1戦でバリー・ボン…
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