頓宮裕真, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3900916 / CC BY SA 3.0

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#岡山理科大学附属高等学校出身の人物
#亜細亜大学硬式野球部の選手
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#岡山県出身の人物
#1996年生
#存命人物
頓宮 裕真(とんぐう ゆうま、1996年11月17日 – )は、岡山県備前市出身のプロ野球選手(捕手)。
右投右打。
オリックス・バファローズ所属。
備前市立伊部小学校の1年時に、捕手として伊部パワフルズで野球を始めた。
当時のチームメイトに、実家が隣同士で2歳年下の山本由伸がいた。
当時は山本も捕手だったため、キャッチボールではいつも山本と一緒だったという。
備前中学校在学中には、ボーイズリーグの瀬戸内マリナーボーイズに所属していた。
岡山理科大学附属高等学校への進学後は、1年夏からのベンチ入りを経て、1年秋から「4番・捕手」としてレギュラーに抜擢。
2年時に春の岡山県大会で優勝したが、在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と縁がなかった。
強肩強打でNPB球団から注目されるほどの大型捕手だったが、プロ志望届を日本学生野球協会へ提出せず、亜細亜大学へ進学した。
亜細亜大学では、1年時の東都大学野球春季リーグ戦から正捕手に抜擢されると、打率.242ながら規定打席に到達。
1年時の秋にはリーグ戦と第46回明治神宮野球大会で優勝を経験したものの、その後は打撃の調子が上がらず、2年時には正捕手の座を失った。
3年時の春季リーグ戦で12試合に出場すると、打率.386、3本塁打、13打点という好成績で、捕手としてベストナインに初めて選出。
チームが2部リーグから1部へ復帰した4年時には、主将を務め、第42回日米大学野球選手権大会と第29回ハーレムベースボールウィークで、大学日本代表の4番打者を務めた。
在学中には、東都大学野球の1部リーグ戦で通算14本塁打を記録した。
2018年のNPBドラフト会議では、捕手ではなく、内野手としてオリックス・バファローズから2巡目で指名された。
強打とチーム事情を背景に、三塁手へのコンバートを想定した指名であったが、契約金8,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団。
山本と再びチームメイトになった。
背番号は44。
2019年には、オープン戦全17試合の出場で規定打席に到達。
16試合で三塁を守りながら2本塁打を放ったことを背景に、レギュラーシーズンの開幕一軍入りを果たした。
3月29日に、北海道日本ハムファイターズとの開幕戦(札幌ドーム)で、「5番・三塁手」としてスタメンで公式戦にデビュー。
オリックスの新人野手が一軍の公式戦で開幕からクリーンナップに起用された事例は、阪急時代の1957年の中田昌宏以来62年ぶりである。
この試合の第1打席で、公式戦での初安打・初打点を上沢直之からの2点適時打でマーク。
4月には、18日にほっともっとフィールド神戸で催された同カードで公式戦初本塁打を放ったことを皮切りに、2本塁打を記録した。
しかし、打撃不振で5月1日に入団後初めて出場選手登録を抹消されてからは、一軍と二軍を往復。
一軍の公式戦で三塁手として不慣れな守備で失策を重ねたばかりか、打撃にも悪い影響を及ぼしていたため、二軍での調整中には捕手への復帰をゼネラルマネージャーの福良淳一へ直訴した。
実際には内野手として一軍へ復帰したものの、6月28日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)7回表の打席で二塁打を放った後の走塁中に、右足の舟状骨を疲労骨折。
その影響で、ウエスタン・リーグ選抜の一員として出場することが内定していたフレッシュオールスターゲームへの出場を辞退(実際にはチームメイトから外野手の佐野皓大が補充選手として出場)したばかりか、シーズン終了までの戦線離脱を余儀なくされた。
骨折が癒えたシーズン終了後に、捕手として実戦に復帰。
2020年には、登録ポジションを内野手から捕手へ変更。
新型コロナウイルスへの感染拡大の影響でレギュラーシーズンの開幕が当初の予定から延期されていた4月に、大学時代の同級生と結婚した。
6月19日からの開幕を二軍で迎えていたが、7月1日のウエスタン・リーグ(対中日ドラゴンズ戦)での打席中に、自打球が左足に当たった影響で腓骨を骨折。
自力での歩行が困難な状態に一時陥っていたため、同リーグでの実戦復帰は9月末、一軍への昇格はシーズン最終盤の10月下旬にまで持ち越された。
10月24日の対千葉ロッテマリーンズ戦(京セラドーム大阪)で一軍における捕手デビューを果たすと、フル…

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