多和田真三郎, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3314103 / CC BY SA 3.0

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多和田 真三郎(たわた しんさぶろう、1993年4月13日 – )は、沖縄県中頭郡中城村出身のプロ野球選手(投手、育成選手)。
右投右打。
埼玉西武ライオンズ所属。
津覇小学校1年生の時に津覇少年野球クラブで野球を始め、4年生から投手になった。
中城中学校では軟式の野球部に所属した。
中部商業高校では1年生の秋にベンチ入りし、2年生の秋にはエースとなったが3年生の全国高等学校野球選手権沖縄大会の決勝戦で糸満高校に敗れ準優勝となったのが最高成績だった。
富士大学では、1年生の春季から登板。
11月11日、第43回明治神宮野球大会の2回戦・国際武道大学戦で、1年生では史上2人目、大会史上4人目のノーヒットノーランを達成した。
3年生時、8月30日のノースアジア大学戦では、これまでのリーグの1試合奪三振記録17を上回る18奪三振を記録した。
11月14日、第45回明治神宮野球大会の1回戦に先発登板したが3回2/3を投げて7失点でチームはコールド負けした。
4年生の春季リーグの終盤で右肩腱板に炎症を起こし、6月に行われた第64回全日本大学野球選手権大会および秋季リーグには登板しなかった。
北東北大学野球リーグでは1年生の秋季に最優秀防御率賞と最優秀選手賞、2年生の春季に最優秀選手賞、秋季に優秀選手賞、3年生の秋季と明治神宮野球大会第6回東北地区代表決定戦でそれぞれ最優秀選手賞を受賞し、ベストナイン(投手)には2年生の春季、3年生の秋季、4年生の春季に選ばれている。
大学通算で46試合に登板、316回1/3を投げ、32勝8敗、防御率1.08だった。
また、当時のリーグ新記録の299個の通算奪三振を記録した。
なおリーグ通算最多奪三振は後に髙橋優貴により301に更新された。
2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから1巡目で指名を受け、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で合意し、入団。
背番号は「18」に決まった。
ドラフト前に西武が1位指名を明言し公表したが、1位指名選手を明言したのは2014年の髙橋光成に続き2年連続だった。
また、富士大学からドラフトで西武へ入団したのは2013年入団の山川穂高、2014年入団の外崎修汰に続き3年連続となった。
2016年1月に行われた新人合同自主トレの投球練習で、大学4年生時に右肩を痛めて以来247日ぶりに投球を行った。
5月14日に出場選手登録され、同日の対北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初登板・初先発し、1回0/3を投げ被安打3、奪三振1、与四球3、自責点4で敗戦投手になった。
2回に無死満塁から三者連続押し出し四球を記録したが、新人選手が初登板で三者連続押し出しを記録したのは1940年に小野寺洋が記録して以来2人目のことだった。
6月19日、対東京ヤクルトスワローズ戦に8番・投手で先発出場し、5回を投げ5失点でプロ初勝利を挙げた。
7月14日に行われたフレッシュオールスターゲームでイースタン・リーグの選抜メンバーに選ばれ、5回裏に4番手で登板し1回を投げ無失点だった。
8月11日の日本ハム戦では、先発登板して9回を投げ被安打3、奪三振8、与四球1、無失点の成績で、初完投・初完封勝利を挙げた。
なお、この年の新人選手の中では一番初めの完封勝利だった。
2017年は右肩違和感の影響もあり、16試合の登板で5勝5敗、防御率3.44だった。
オフの10月12日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出された。
2018年、3,4月は5戦5勝、防御率2.06と活躍し、3,4月度の月間MVPを受賞した。
5月5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で球団タイ記録となる開幕から6戦6連勝を挙げる。
7月24日のオリックス・バファローズ戦では自身初の2桁勝利を挙げた。
9月以降は再び調子を上げ、9,10月は5戦4勝、防御率1.54の活躍で同年2度目の月間MVPを受賞。
チームで唯一開幕から閉幕まで先発ローテーションを守り続け、26試合に登板。
リーグ最多の5完投、16勝を挙げ、自身初のタイトルとなる最多勝利を獲得した。
2019年、菊池雄星のシアトル・マリナーズ移籍により自身初となる開幕投手を務めた。

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