若林晃弘, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3712117 / CC BY SA 3.0
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#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
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若林 晃弘(わかばやし あきひろ、1993年8月26日 – )は、東京都中野区出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投両打。
読売ジャイアンツ所属。
実父は横浜大洋ホエールズに所属していた若林憲一。
幼少期には、既に現役を引退していた実父の憲一を相手に、ボール遊びや野球の練習をしていた。
中野区立桃園第三小学校では世田谷タイガース、中野区立第九中学校では目黒西シニアに所属していた。
桐蔭学園高校への進学後は、1年夏の選手権神奈川大会でベンチ入りを果たしたばかりか、投手として登板した。
1年秋から外野手、2年秋からは遊撃手としてレギュラーの座を確保。
茂木栄五郎などとクリーンアップを組んで臨んだ3年夏の神奈川県大会では、4回戦で茅ヶ崎西浜高校の古村徹、5回戦で川崎工科高校の青柳晃洋、準々決勝で武相高校の井口和朋に勝利。
しかし、松井裕樹を擁する桐光学園高校との準決勝に、4-5で惜敗した。
1学年後輩に山野辺翔、2学年後輩に齊藤大将がいる。
法政大学への進学後は、1年春から東京六大学野球のリーグ戦に出場すると、3年秋に正二塁手へ定着した。
4年時には、春季にリーグ2位の打率.390を記録。
秋季には、打率.279、3本塁打という成績で、二塁手としてベストナインに選ばれた。
在学中には、リーグ戦で通算59試合に出場。
打率.267(176打数47安打)、4本塁打、20打点、10盗塁という成績を残した。
1学年先輩に、石田健大がいる。
JX-ENEOSへの入社後は、1年目からレギュラーとして出場。
第42回社会人野球日本選手権大会では、NTT西日本との初戦に敗れたものの、「9番・二塁手」として先発出場した。
2年目の第88回都市対抗野球大会には、三菱日立パワーシステムズの補強選手として出場すると、JR西日本との準々決勝では満塁本塁打を記録。
秋には、社会人日本代表の内野手として第28回BFAアジア選手権へ出場した。
2017年10月26日に行われたNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツにから6巡目で指名され、契約金4,000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は60。
担当スカウトは井上真二。
2018年には、5月12日の対中日ドラゴンズ戦8回表から、中堅手として一軍公式戦に初出場を果たした。
8月9日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)で、秋山拓巳から左打席で初安打を放った。
一軍公式戦には通算で17試合に出場したが、この安打だけ(18打数1安打)でシーズンを終えた。
オフに、80万円増の推定年俸880万円で契約を更改した。
2019年には、レギュラーシーズン開幕直後の4月7日に出場選手登録を果たすも、同月17日の広島東洋カープ戦で右腕に死球を受け2週間足らずで一軍登録を抹消された。
一軍で二塁を守っていた選手に故障や不振が相次いだことから、セ・パ交流戦直前の6月1日に再び登録されると、6月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)では、一軍公式戦での初本塁打を二木康太から左打席で記録。
交流戦では17試合に出場すると、チームの規定打席到達者トップ(全12球団で11位タイ)の打率.333を記録。
一時は、交流戦の打率.441でトップに立っていた。
レギュラーシーズン終盤の9月上旬に出場選手登録を再び抹消されたが、一軍公式戦全体では77試合の出場で、打率.239ながら5本塁打を放ったほか、58試合で二塁、17試合で三塁、6試合で外野、2試合で一塁、1試合で遊撃を守るなどユーティリティープレイヤーとして活躍。
チームがセントラル・リーグ優勝を経て臨んだポストシーズンでも、阪神とのクライマックスシリーズ ファイナルステージや日本シリーズに出場した。
オフに、1,020万円増の推定年俸1,900万円で契約を更改。
背番号が37に変更された。
2020年は、開幕一軍を逃したものの6月25日に出場選手登録を果たす。
7月18日に抹消されたものの、8月4日に再登録された後はシーズン終了まで一軍に帯同した。
前年と同程度の76試合に出場したが、主に二塁に定着した吉川尚輝の台頭の影響もあり、スタメン機会は前年に比べ減少した。
また20試合で二塁を守ったのに対し、43試合で…
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