ポール・バード, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=939623 / CC BY SA 3.0
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#クリーブランド・インディアンスの選手
#ボストン・レッドソックスの選手
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ポール・バード(Paul Gregory Byrd , 1970年12月3日 – )は、MLBの右投右打の投手。
アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身。
 1972年にケンタッキー州ルイビルで生まれ育ったバードは、周囲がアメリカンフットボールやバスケットボールをしているなか、野球ばかりやっていたという。
シンシナティ・レッズのファンで、ジョニー・ベンチに憧れていた。
高校卒業時の1988年、シンシナティ・レッズからドラフト13巡目で指名されたが、ルイジアナ州立大学へ進学。
大学では3年連続でカレッジ・ワールドシリーズに出場し、1991年のドラフトでクリーブランド・インディアンスから4巡目で指名され入団。
 1994年11月18日にトレードでニューヨーク・メッツへ移籍。
1995年7月28日にメジャーデビュー。
メッツでは2年間所属し、全てリリーフで55試合に登板。
1996年11月25日にアトランタ・ブレーブスへトレード移籍し、1998年8月14日にウェイバー公示を経てフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。
 1999年に先発ローテーションに入り、15勝を記録。
2001年6月5日にホセ・サンティアゴとのトレードでカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。
バード独自のワインドアップ投法を取り入れた2002年には17勝を記録。
シーズン終了後、フリーエージェントを宣言したバードに対し、投手再編を迫られたアトランタ・ブレーブスが2年総額1,000万ドルを提示して獲得。
 2003年のスプリング・トレーニングで1イニングを投げた時点で右ひじに違和感を覚え、故障者リスト入り。
その後、トミー・ジョン手術を受けた。
2003年は全休、2004年も19試合の登板で8勝7敗にとどまった。
ブレーブスでは期待外れの成績に終わったが、グレッグ・マダックスらメジャー最高の先発投手やレオ・マゾーニーと出会い、コントロールの大切さを学んだという。
 2005年はロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムで12勝11敗を挙げ、2006年からは古巣のインディアンスでプレイ。
2007年は15勝8敗を記録したが、ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ最中の10月21日にサンフランシスコ・クロニクルがパードが2002年から2005年にかけて成長ホルモンを使用したことを報じた。
バード本人は「目的は脳下垂体腫瘍の治療のため、医師の管理のもとに使用した」と使用を認めた。
12月13日に発表されたミッチェル報告書にパードの名前が記載された。
 そして、2008年8月12日に後日発表選手との交換トレードでそのレッドソックスへ移籍した。
 2008年7月1日には、著書『フリー・バード』が発売された。
バード自らがクリスチャンとして成長してきた過程がつづられ、元チームメイトのジョン・スモルツが序文を書いている。
 2008年シーズン終了後にフリーエージェントとなったバードは、2009年1月14日に家族と過ごすため、開幕時はどこのチームと契約しないことを明らかにし、プレーする場合はシーズン後半に契約することになるだろうとの意向を示した。
8月5日にレッドソックスとマイナー契約を結んだ。
8月30日にメジャーへ復帰。
同日のトロント・ブルージェイズ戦で先発投手として6回を無失点に抑え、復帰戦を勝利で飾った。
 
						
			
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