【父子桜の詳細】

福岡県みやま市出身で旧日本海軍第二艦隊司令長官の伊藤整一は、太平洋戦争開戦への反対を訴え続けながらも、最後は戦艦大和と運命を共にしました。

かねてより庭いじりが好きだった伊藤提督の自宅には、手植えの大きな桜が立っています。

樹齢八十年余りの桜は、別名「父子桜」と呼ばれています。

伊藤長官の長男叡(あきら)中尉が、父とともに散華。

その後、桜の根元から父に寄り添う息子のように小さな桜の芽が吹き出したと言われています。

それを毎年四月七日に必ず咲くと言われる桜の花びらに戦争に散った父子の情愛に思いを馳せ、父子桜と呼び、物語っていたそうです。
その桜も、樹齢八十を重ね、樹命尽きる前に戦争なき世の中への願いを込めた転生の桜の花をふるさとの地に甦らせようと、

伊藤提督の生涯を追った「四月七日の桜」の著作者中田整一先生の教導をもとに、伊藤提督ご長女のお許しをいただき、ふるさとへの鎮魂の桜の木の帰還となったのであります。

この桜には、あの戦艦大和沈没の際に、戦闘中止を命令、若き将兵たちを下船させ、自らは従容として死を選んだ責任ある指揮官の平和への魂が込められた桜の苗木の植樹であります。

戦争で散った英霊たちの魂、その縁の方々桜の花びらの転生に慰霊の祈りを捧げ、 “世世、生生 ”平和を伝えていく世代、未来のために、大和さくらの会は歩み続ける

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