田中広輔, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2897448 / CC BY SA 3.0

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田中 広輔(たなか こうすけ、1989年7月3日 – )は、神奈川県厚木市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
広島東洋カープ所属。
弟は横浜DeNAベイスターズに所属する田中俊太。
厚木市立依知南小学校・依知中学校を経て、東海大相模高に進学。
1年春からベンチ入りし、2年春に甲子園出場を果たしている(2回戦の清峰高戦で敗退)。
3年夏は神奈川県予選決勝で桐光学園高に8-10で敗れた。
この試合の6回裏の攻撃時に本塁クロスプレーの際、相手捕手(奥野智也)に右ももを負傷させるスライディングを行い批判を受けた。
奥野には大学時代に謝罪をしている。
高校通算38本塁打。
高校卒業後は東海大学へ進学。
4年時の秋季のリーグ戦で首位打者になる。
首都大学リーグでの通算成績は76試合出場、244打数62安打、打率.254、3本塁打、29打点。
ベストナイン2回受賞。
高校・大学の同期には菅野智之がいた。
大学卒業後JR東日本へ入社。
1年目から遊撃手のレギュラーを獲得し、第83回都市対抗野球大会(チーム準優勝)では若獅子賞(新人賞)を獲得し、大会優秀選手に選ばれた。
第38回社会人野球日本選手権大会(チーム準優勝)でも大会優秀選手を獲得。
第26回アジア野球選手権大会日本代表に選ばれ優勝に貢献、大会最優秀守備選手賞を獲得し、社会人ベストナインの遊撃手部門を獲得した。
2年目には、第84回都市対抗野球大会のチーム準優勝に貢献し、大会優秀選手に選ばれた。
また、第6回東アジア競技大会野球日本代表に選出された。
JR東日本の同期入社には吉田一将がいた。
2013年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープから3巡目で指名。
契約金7,000万円、年俸1,100万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は、この年まで丸佳浩が付けていた63。
この年に一軍の正中堅手へ定着し、セントラル・リーグ(セ・リーグ)盗塁王のタイトルを獲得した丸のような活躍を期待したとされている。
2014年、オープン戦から「8番・三塁手」として一軍のスタメンに定着すると、そのまま開幕一軍入りを果たした。
一軍公式戦では、4月こそ打率1割台と苦しんだが、5月以降徐々に復調。
正三塁手を争っていた堂林翔太が主に外野で起用されるようになった夏場に、三塁のレギュラーの座を確保。
8月以降は、正遊撃手の梵英心が膝に不安を抱えていたため、梵とポジションを入れ替える格好で遊撃手として起用された。
一軍にはほぼフルシーズン帯同。
公式戦110試合の出場で、9本塁打、10盗塁、34打点、打率.292を記録した。
2015年、東京ヤクルトスワローズとの開幕戦(3月27日・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で、「8番・遊撃手」としてスタメンに起用された。
7月のオールスターゲームでは、セ・リーグの監督推薦選手として初出場。
代走から登場した東京ドームでの第1戦(17日)で三塁打を放って1打点を挙げると、「8番・遊撃手」としてスタメンに起用されたマツダスタジアムでの第2戦(18日)でも3打数1安打2打点と活躍し、「チャレンジ精神と個性溢れるプレーで、2試合にわたってファンに夢や希望を届けた」として特別賞(Be a driver賞)を受けた。
レギュラーシーズン全体では、一軍で自身初の規定打席に到達。
打率.274、8本塁打、45打点、OPS.737の成績を残すとともに、リーグ1位の9三塁打、同4位の33二塁打を記録した。
また、リーグ最多の22失策を記録する一方で、守備機会は1985年の高橋慶彦(723)に次ぐ球団歴代2位の710に達した。
11月に開催の第1回WBSCプレミア12では、日本代表の第1次候補選手として発表されたものの、最終ロースターの28名に残らなかった。
2016年、前年に現役を退いた一軍打撃コーチの東出輝裕から、背番号2を継承。
横浜DeNAベイスターズとの開幕戦(3月25日・マツダスタジアム)で「1番・遊撃手」としてスタメンに起用された。
7月19日の対中日ドラゴンズ戦(マツダ)では、新井貴浩・鈴木誠也と共に3点本塁打を記録。
広島の選…

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