ヘスス・コロメ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=654292 / CC BY SA 3.0
#ドミニカ共和国の野球選手
#タンパベイ・デビルレイズの選手
#ワシントン・ナショナルズの選手
#ミルウォーキー・ブルワーズの選手
#シアトル・マリナーズの選手
#モンテレイ・サルタンズの選手
#ブリッジポート・ブルーフィッシュの選手
#カリビアンシリーズ選手
#ドミニカ共和国のドーピング違反選手
#ドーピング違反の野球選手
ヘスス・コロメ・デ・ラ・クルーズ(Jesús Colomé de la Cruz , 1977年12月23日 – )は、ドミニカ共和国・サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(投手)。
甥はアレックス・コロメ。
1996年にアマチュア・フリーエージェントとしてオークランド・アスレチックスと契約。
2000年7月28日にトレードで、タンパベイ・デビルレイズへ移籍した。
2001年6月21日の対ボストン・レッドソックス戦においてメジャーデビューを果たす。
マイナーリーグでは先発登板が多かったが、メジャー昇格後はリリーフとして起用され、エステバン・ジャンらとクローザーの座を争ったこともあった。
2005年に右肩を痛めて2度の故障者リスト入り。
2006年、開幕直後に1試合に登板しただけで解雇された。
その後、ニューヨーク・ヤンキースと契約するが、メジャーでの登板はなくシーズン終了後に放出される。
2007年1月にワシントン・ナショナルズと契約。
この年に自己最多の61試合に登板し、手薄なリリーフ陣を支えた。
2008年も同じく61試合に登板したが、シーズン終了後の12月10日にナショナルズから解雇された。
2009年4月9日にマイナー契約でナショナルズに復帰した。
7月にDFAとなった。
ミルウォーキー・ブルワーズがマイナー契約で獲得したが、9月6日に放出された。
2010年1月10日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだが、5月10日に解雇される。
6月23日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。
8月15日にテキサス・レンジャースとマイナー契約を結んだ。
2011年はコロラド・ロッキーズ傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーしたがメジャー昇格には至らなかった。
2012年はメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレーした。
しかし、禁止薬物の使用で50試合の出場停止処分を受けた。
薬物の使用について本人は身に覚えが無いと潔白を主張している。
2013年、台湾プロ野球の義大ライノズと契約したが、メキシカンリーグで処分を受けていたことが問題となり、開幕前に契約を解除された。
同年5月18日に中日ドラゴンズの入団テストを受け、薬物検査の結果に問題はなかったものの、「総合的に判断した」との理由で同月28日に不合格となった。
2014年オフは母国ドミニカ共和国のウィンターリーグに参加。
2015年5月25日に独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約したが、3試合の登板で解雇となる。
好調時には最高で100mph(約160.9km/h)を計時するフォーシームの速球と、切れ味鋭いスライダーが武器。
制球も徐々に良くなり、クローザー候補として毎年名前が挙がる投手だが、まだクローザーになれずにいる。
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