櫻井周斗, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3717663 / CC BY SA 3.0
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櫻井 周斗(さくらい しゅうと、1999年6月25日 – )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
横浜DeNAベイスターズ所属。
2人の実兄の影響で、所沢リトルライオンズで軟式野球をスタート。
当初は投手一本で、チーム内に同級生が居なかったことから、小学4年時に所沢ニュータウンヤンキースへ移った。
小学校6年時のNPB12球団ジュニアトーナメントで、ヤクルトスワローズのジュニアチームに選ばれたが、左肘を故障したため実際には出場しなかった。
東中学校への入学と同時に、新座シニアに入団。
途中で左肘を再び故障したため、野手に転向する。
3年時に参加したリトルシニア関東選抜では、投手としての素質に目を付けた関東選抜監督(海老名リトルシニア監督)の方針で、投手として東京ドームの日本リトルシニア全国選抜野球大会に出場。
前述したブランクがあったにもかかわらず、ストレートで最速135km/hを記録した。
シニア出身の先輩がいた縁で進学した日本大学第三高等学校では、1年秋から右翼手としてレギュラーで出場。
2年夏の選手権西東京大会では、打者として5割以上の打率を記録した。
しかし、チームの投手陣に故障者が相次いだため、投手に急遽復帰。
1学年先輩の坂倉将吾とバッテリーを組んだが、準決勝で敗退した。
2年秋の秋季東京都高等学校野球大会で、岡部仁とのダブルエースとして決勝に進出。
早稲田実業高校との決勝で先発を任されると、清宮幸太郎から5打席連続で三振を奪った。
チームは6 – 8というスコアで敗れたものの、清宮から全打席で三振を奪ったことで、「清宮キラー」として一躍脚光を浴びるようになった。
3年時には、第89回選抜高等学校野球大会に出場すると、初戦で履正社高等学校と対戦。
安田尚憲から3打席連続三振を奪いながら、8回途中5失点という内容で、チームは5対12で敗退した。
春季東京都大会の決勝で早稲田実業高校との再戦が実現したが、夏の選手権西東京大会での対戦を見越した監督の小倉全由の方針で野手として出場。
9回に本塁打を放つなど活躍したが、高校野球の試合では珍しく22時を越えるほどの大熱戦を展開した末に、17 – 18というスコアで惜敗した。
「早稲田実業を決勝での打倒」「小倉監督の下での優勝」を目標に臨んだ夏の選手権西東京大会では、5回戦まで勝ち上がったが、準々決勝で東海大菅生高校に0-5というスコアで敗戦した。
9月にカナダで開催された2017 WBSC U-18ワールドカップには、日本代表の一員として出場。
外野手や指名打者を中心に起用され、3番に清宮、4番に安田、6番に中村奨成が並んだ強力打線の5番打者として3割以上の打率を残し、チームの銅メダル獲得に貢献した。
ワールドカップの終了後にプロ志望届を提出し、秋のNPBドラフト会議では、投手として横浜DeNAベイスターズから5巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸550万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は、自身と同じ左投手の大原慎司がこの年に現役を引退するまで着用していた41。
指名後の挨拶で投手として勝負することを志願し、入団後は投手として登録された。
2018年には、春季キャンプを二軍でスタートさせたが、練習試合で好投したことを受け、オープン戦開幕日の2月24日から一軍へ合流。
同日の対読売ジャイアンツ戦(沖縄セルラースタジアム那覇)6回表から救援で登板すると、1イニングを無安打無失点に抑え、勝利投手になった。
高校から直接NPBの球団に入った新人投手がオープン戦で初登板・初勝利を記録したのは、2000年の河内貴哉以来18年振りで、チーム開幕戦での記録は1990年の宮地克彦以来28年振り。
DeNAの高卒新人投手によるオープン戦の勝利は、大洋時代に石井忠徳(石井琢朗)が1989年3月25日の対西武戦で記録して以来29年振りであった。
その後も登板した全5試合を無失点に抑え、北海道日本ハムファイターズへ入団した清宮とのプロ初対戦で三振(通算6打席連続三振)を奪うなど好投を続けたが、開幕直前に二軍降格。
チームの高卒新人投手としては石井以来となる開幕一軍入りを逃すと、レギュラーシーズン中は二軍生活に終始した。
イースタン・リーグの公式戦では、先発を中心に18試合に登板し、2勝3敗をマーク。
1試合で完投を記録したが、…
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