渡邉雄大, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3702585 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#中越高等学校出身の人物
#青山学院大学硬式野球部の選手
#新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの選手
#福岡ソフトバンクホークスの育成選手
#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
#メルボルン・エイシズの選手
#新潟県出身の人物
#1991年生
#存命人物
渡邉 雄大(わたなべ ゆうた、1991年9月19日 – )は、新潟県三条市出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
福岡ソフトバンクホークス所属。
三条市立四日町小学校出身。
三条市立第一中学校1年生の時から、同校の軟式野球部で野球を始める。
長岡市の中越高校に進学し、3年生の時に背番号1を付けエースとなる。
3年生の春の春季北信越大会において決勝に進出。
3年生の夏の第91回全国高等学校野球選手権新潟大会において、4回戦は完封勝利、準々決勝は完投勝利と好投をみせ、決勝に進出するが、決勝戦で日本文理高校に敗れ、甲子園出場はならなかった。
青山学院大学に進学し、2年生の時に投手としての特長を出すために、それまでのスリークォーターの投球フォームからサイドスローに変更する。
大学時代は公式戦の登板は無かった。
野球部の同期には杉本裕太郎、東條大樹、1学年後輩には加藤匠馬、2学年後輩には吉田正尚がいる。
2013年12月6日に行われたBCリーグドラフト会議にて、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブから指名され入団した。
背番号は51。
2014年は、19試合に登板し、77回1/3を投げ、7勝2敗、2完投、防御率2.91の成績を残す。
2015年は、33試合に登板で87回1/3を投げ、6勝3敗、3完投、防御率2.78の成績だった。
2016年は、中継ぎ投手として32試合に登板、26回2/3を投げ、3勝1敗1セーブ、防御率2.70の成績を残す。
オフにオーストラリア・ウィンターリーグに参加したが、登板は2試合、0回2/3のみ。
2017年は、46試合に登板し、55回2/3を投げ、1勝2敗16セーブ、防御率1.29と、最優秀防御率のタイトルに輝き、16セーブはリーグ3位と好成績を挙げる。
10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成選手六巡目指名され、11月7日、新潟アルビレックスBCの球団事務所にて入団交渉を行い、支度金300万円、年俸400万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月7日、福岡市内のホテルで入団発表会見が行われた。
背番号は140。
2018年は、二軍公式戦では14試合に中継ぎ投手として登板し、1勝0敗1セーブ、防御率1.42、三軍戦では29試合で31回を投げ、勝ち負けなしの2つのセーブ、防御率1.45の成績を残す。
シーズンオフの11月25日から台湾で開催される2018アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBウエスタン選抜に選出され、9試合で防御率1.00、1セーブ、2ホールドを挙げる。
2019年は、二軍公式戦では16試合登板で14回を投げ、1勝1敗、防御率3.86、三軍戦で32試合の登板で32回1/3を投げ、1勝0敗4セーブ、防御率0.28を記録する。
2020年8月31日、支配下選手契約を締結。
背番号は48。
二軍公式戦では11試合登板で11回1/3を投げ、計7四死球を記録したが、被安打2、奪三振17、防御率0.00という好成績をマーク。
三軍戦でも17試合登板で防御率0.00だった。
9月4日に一軍選手登録されると同日の対千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板を果たした。
しかし、デビュー3試合目となった9月9日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で左肘に違和感を覚え降板すると、翌日には登録抹消された。
左肘靱帯の一部損傷と診断され、左肘にPRP注射を行ったことが明らかとなり、1か月以上のノースロー調整が必要になることから今季中の復帰は絶望的となった。
結果的に、この年は一軍、二軍、三軍のいずれの場所でも防御率0.00という記録になった。
契約更改が行われた12月の段階で60〜70mの遠投やブルペンでの立ち投げができるまでに回復し、「来年は1軍で40試合は投げたい」と来季の目標を掲げた。
2021年1月よりファーム施設でリハビリ組として調整を開始。
既にブルペンでの投球も行えるように回復していた。
サイドスローの投球フォームから、最速143km/hのストレートと、変化球はスライダー、ツーシームなど4種類を投げる。
左打者の内角、右打者の胸元を突き、コーナーに投げ分ける制球力がある。
2020年8月…

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