小川一平 (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=4031169 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#神奈川県立横須賀工業高等学校出身の人物
#東海大学九州硬式野球部及びその前身チームの選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#神奈川県出身の人物
#1997年生
#存命人物
小川 一平(おがわ いっぺい、1997年6月3日 – )は、神奈川県逗子市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
逗子市立逗子小学校の2年時に「逗子オリーブス」で軟式野球を始めると、4年時から投手を務める。
逗子市立逗子中学校在学中には、校内の軟式野球部に所属していた。
神奈川県立横須賀工業高等学校への進学後は、2年時の秋からエースの座をつかんだものの、2年時の秋と3年時の春に相次いで故障。
3年時夏の神奈川大会では1回戦で完投勝利を収めたものの、2回戦で敗れたため、在学中は甲子園球場の全国大会と縁がなかった。
高校からの卒業後に熊本県の東海大学九州キャンパスへ進学したが、入学直後の2016年4月に熊本地震で被災。
一時は、避難生活や実家への帰省を余儀なくされた。
チームもこの年に九州大学野球のリーグ戦出場を辞退したが、2年の春季リーグ戦から出場を再開すると、主にクローザーとして3勝を記録。
先発でも完投勝利を記録したほか、チームを11年ぶりの全日本大学野球選手権出場に導いた。
2年時の冬に大学日本代表候補の合宿に参加したが、先発へ本格的に転向した3年時の9月に腰痛を発症。
4年時には、他の部員の不祥事によってチームが春季リーグ戦への出場を辞退したものの、秋季リーグ戦で敢闘賞を受賞した。
2019年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから6巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した。
担当スカウトは田中秀太で、背番号は66。
2020年には、二軍の春季キャンプを経て、オープン戦の後半から一軍に合流。
合流後は対外試合に登板していなかったが、5月31日の紅白戦でストレートが自己最速の152km/hを記録したことから、一軍のセットアッパー候補として一躍注目された。
その後の練習試合で他球団を相手に中継ぎの経験を積んだ末に、新人選手からただ1人開幕一軍入りを達成。
大学から直接阪神へ入団した新人投手が開幕戦で一軍登録されるのは、日本大学から2000年に入団した吉野誠以来20年ぶりであった。
6月20日に、読売ジャイアンツとの開幕カード第2戦(東京ドーム)7回裏に救援で公式戦へデビュー。
しかし、暴投や自身の失策などをきっかけに5点を失ったため、二死を取っただけで降板を命じられた。
以降も一軍公式戦13試合に救援で登板したが、防御率が一時10点以上に達するなど投球内容が安定せず、勝敗が付かないまま8月17日付で出場選手登録を抹消された。
この年限りで現役を引退する藤川球児から一軍帯同中に投げ方を教わったフォークボールを新たな武器に、ウエスタン・リーグ公式戦5試合の登板で防御率1.50という成績を残したことから、9月3日に再び登録。
前半戦は一度も登板がなかったものの9月8日のヤクルト戦で初勝利。
長身から投げ下ろす最速153km/hのストレートと、「パワーチェンジ」と自称する力強いチェンジアップが武器。
スライダー、カットボールなどの変化球を織り交ぜている。
藤川球児から直伝されたフォークボールも持っているという。
ニックネームは、自身と同じ名前をブランド名に使用する明星食品のカップ麺シリーズにちなんで「一平ちゃん」。
阪神入団後の報道でも、「虎の一平ちゃん」というフレーズが使われている。
実際には、大学生時代に2週間に1回のペースで「一平ちゃん」のカップ焼きそばを食べていたとのことで、阪神と仮契約を結んだ際には「一平ちゃん」のテレビCMに出演することを目標に挙げていた。
大学1年時に熊本地震で被災した直後の帰省中には、渋谷のスクランブル交差点で、被災地への義援金を募る活動に参加していた。
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