中川虎大, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3974198 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#和歌山県立箕島高等学校出身の野球選手
#横浜DeNAベイスターズ及び横浜ベイスターズの育成選手
#横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
#和歌山県出身の人物
#1999年生
#存命人物
中川 虎大(なかがわ こお、1999年10月2日 – )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
横浜DeNAベイスターズ所属。
5歳から「野崎少年野球」で軟式野球を始め、和歌山市立貴志南小学校時代には、捕手として貴志南野球団でプレー。
小学6年時には、スポーツ少年団の全国大会で準優勝を経験した。
和歌山市立貴志中学校への進学後は和歌山シニアへ入団したが、1年時に右肘を痛めた。
手術を経て復帰した後は「4番・三塁手」としてレギュラーに定着していたが、2年時の冬に「遊びたくなった」という理由で退団し、一時は野球と距離を置いていた。
しかし、3年時の7月に、全国高等学校野球選手権和歌山大会の決勝(智弁和歌山高校対和歌山市立和歌山高等学校)を観戦し、同試合で市立和歌山が延長12回の末にサヨナラ勝利で全国大会出場を決めたシーンに遭遇したことから、野球熱が再燃したという。
実母の従兄弟に和歌山県立箕島高等学校OBの木村竹志(「石井毅」として在学中の1979年にエースとして甲子園球場の全国大会で春夏連覇を達成)がいる縁で、3年時の秋から木村が理事長を務めるNPO法人の野球教室に参加。
中学卒業後は同校へ進学した。
入学の直後に自身の希望で投手に転向すると、2年時の秋から主将を務めるとともに、エースの座を確保。
さらに、2年時のトレーニングによってストレートの球速が短期間で149km/hにまで達し、NPB球団のスカウトから注目されるようになった。
しかし、投球の安定感に課題があったことから、3年夏の選手権和歌山大会には背番号10の救援投手として登板。
在学中には全国大会と無縁であったが、3年時の秋には、プロ志望届を日本学生野球協会に提出した。
2017年のNPB育成ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名。
支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。
入団当初の背番号は104。
2018年には、イースタン・リーグ公式戦17試合に登板。
5勝5敗、防御率5.00という成績を残した。
2019年には、イースタン・リーグの開幕から、二軍の先発ローテーションに定着。
前半戦は13試合に登板し、リーグトップの8勝(3敗)、防御率2.00という好成績を残した。
7月11日のフレッシュオールスターゲーム(楽天生命パーク宮城)にも、同リーグ選抜チームの2番手投手として2回表から登板。
2イニングを投げて2点を失いながらも、2三振を奪った。
7月14日には、支配下選手契約へ移行し、背番号を93に変更することが発表された。
7月28日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、先発投手として一軍公式戦にデビュー。
一軍公式戦全体では3試合の登板(1試合の先発)で0勝1敗だったが、イースタン・リーグ公式戦では規定投球回へ到達し、リーグ唯一の2桁勝利(11勝)とリーグトップの防御率(2.25)を記録した。
最速154km/hのストレートを軸に、スライダー、カットボール、フォーク、ナックルカーブなどの変化球を投げ分ける。
虎大と書いて「こお」と読む名前は、工藤公康のファンであった実母が「公康」の「公(こう)」を名前の読みに入れ、阪神タイガースのファンである実父が、阪神のチーム名をモチーフにした「虎」の字を入れたが、姓名判断で「う」と読ませる(運勢の)良い漢字が見当たらなかったため、読み方は「こお」としたことに由来する。
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