吉田凌, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3328535 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#東海大学付属相模高等学校出身の野球選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#兵庫県出身の人物
#1997年生
#存命人物
吉田 凌(よしだ りょう、1997年6月20日 – )は、兵庫県西脇市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
オリックス・バファローズ所属。
小学校1年時から「西脇スポーツ少年団」で軟式野球を始めると、西脇市立西脇東中学校への在学中に「兵庫北播シニア」で投手としてプレー。
全国大会にも出場したことから、神奈川県の東海大付属相模高等学校に進学した。
東海大学付属相模高等学校では、1年時春の対外試合からベンチ入りを果たした。
2年時夏の第96回全国高等学校野球選手権大会では、神奈川大会の決勝で、8回2/3を投げて20奪三振を記録。
チームの優勝に貢献したが、本大会では、松本裕樹を擁する盛岡大学附属高校に敗れた。
2年時秋、腰椎分離症を発症。
それにより、ウエイトトレーニングや走り込みで体を鍛える冬場に強化を行うことができず、体のバランスが乱れ、また自身も考えすぎたことで投球フォームを崩してしまう。
3年時の夏には、2年連続の神奈川大会優勝を経て、第97回全国高等学校野球選手権大会で同学年の左投手・小笠原慎之介と併用された。
大会中に腰椎分離症が再発するも、オコエ瑠偉を擁する関東第一高校との準決勝では、先発で7回を1失点に抑えて、チームを決勝に導いた。
後にチームメイトとなる佐藤世那のいた仙台育英高校との決勝では、先発した小笠原が本塁打を放つなどの活躍で優勝を決めたが、吉田の出場機会はなかった。
2015年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから5巡目で指名され、契約金3,500万円、年俸500万円という条件で入団した。
背番号は66。
また、この会議では、小笠原も中日ドラゴンズから1巡目指名され、入団した。
なお、オリックスには、入団の時点で吉田篤史(二軍投手コーチ)、吉田一将(投手)、吉田雄人、吉田正尚(いずれも外野手)が在籍していた。
このため、入団後には本名(吉田凌)を登録名に使用し、名前のローマ字表記(RYO)をユニフォームに使用している。
なお、2021年9月18日 – 9月21日の「Bsオリっこデー2021」で選手自身がニックネームを決めて背ネームに表記する企画では、苗字での「YOSHIDA」表記を使用した(吉田一将は『KAZU』、吉田正尚は『HARPER』と表記)。
2016年は、高校時代の良かった頃の投球フォームを見直し、修正を行った。
以前のようにリリースポイントを前にしたことで、直球の速さとスライダーのキレが増した。
シーズンでは、一軍公式戦での登板はなかったが、ウエスタン・リーグ公式戦には12試合に登板し、2勝2敗、防御率5.79の成績を残した。
2017年には、7月13日のフレッシュオールスターゲーム(静岡県草薙総合運動場硬式野球場)に、ウエスタン・リーグ選抜の7番手投手として、7回裏に1イニング限定で登板した。
同リーグ公式戦には16試合の登板で、6勝5敗、防御率2.37を記録、10月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で、先発投手として一軍公式戦へのデビューを果たした。
シーズン終了後には、台湾で開催された2017アジアウインターベースボールリーグへ、佐藤と共にNPBウエスタン選抜チームに参加。
4試合に先発し、12月2日には、NPBイースタン選抜打線を相手に1-0というスコアで完封勝利を挙げた。
オフはチームメイトの西勇輝と共に高校の先輩である読売ジャイアンツの菅野智之らの自主トレに参加した。
2018年には、ウエスタン・リーグ公式戦10試合の登板で3勝2敗、防御率4.18を記録したが、一軍公式戦への登板機会はなかった。
2019年には、ウエスタン・リーグ公式戦29試合の登板で3勝1セーブ、防御率1.38という好成績を記録。
一軍公式戦にも、中継ぎとして4試合に登板した。
2020年には、レギュラーシーズン開幕半月後の7月15日に救援要員として出場選手登録を果たすと、7月31日の対日本ハム戦(札幌ドーム)でプロ初ホールドを記録。
8月に入ってから一軍公式戦へのシーズン登板数がキャリアハイに達したほか、中継ぎ陣の一角を担いながら、シュートを武器に好投を続けている。
一軍の首脳陣がチームの7連敗阻止を賭けてシーズン初の「ブルペン・デー」に指定した8月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦(PayPayドーム)では、3年ぶりに先発した吉田一将の後を受けて、…

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