山野辺翔, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3899971 / CC BY SA 3.0

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#桐蔭学園高等学校出身の野球選手
#桜美林大学硬式野球部の選手
#三菱自動車岡崎硬式野球部の選手
#埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手
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#1994年生
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山野辺 翔(やまのべ かける、1994年5月24日 – )は、東京都府中市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
埼玉西武ライオンズ所属。
小学校から野球を始める。
中学時代は武蔵府中シニアに所属。
桐蔭学園高等学校では3年夏に二塁手に定着し、神奈川県大会準決勝では金子一輝擁する日大藤沢高校に勝利し、神奈川県大会決勝まで進んだが桐光学園高校の松井裕樹の前に敗れ、甲子園出場はなかった。
1学年先輩に茂木栄五郎、若林晃弘、1学年後輩に齊藤大将がいる。
桜美林大学では打撃が向上し、2年春に1部昇格後は2年秋、3年春、4年春夏にベストナインを受賞し、4年秋には初のリーグ優勝に貢献した。
エース佐々木千隼で関東地区大学野球選手権大会でも優勝し、第47回明治神宮野球大会に出場。
準決勝では弓削隼人、京田陽太擁する日本大学戦では2点タイムリーを放つなど活躍。
柳裕也、星知弥、佐野恵太ら擁する明治大学には敗れたが、準優勝に輝いた。
大学時代の同期に佐々木千隼がいる。
三菱自動車岡崎では1年目からレギュラーに定着し、2017年に都市対抗野球大会と日本選手権大会、2018年に都市対抗野球大会に出場した。
2018年10月25日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから3位指名を受け、11月15日に契約金6000万円、年俸1500万円で契約した。
2019年、5月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初安打を放つも、その1本に終わり一軍出場は9試合にとどまった。
ただ、イースタン・リーグでは87試合に出場し、チーム最多タイの12本塁打、さらにはリーグ最多の29盗塁で盗塁王を獲得した。
2020年は新型コロナウイルスの影響で120試合制となる。
6月の開幕を一軍で迎え、代走として起用された。
7月10日のロッテ戦でシーズン初スタメンを果たし、4打数1安打1打点。
翌7月11日も3打数1安打1打点と活躍するも、その後はスタメン機会に恵まれなかった。
10月20日のロッテ戦でスタメン出場すると、最終打席で平凡なフライを打ち上げるも相手野手が交錯してサヨナラタイムリーエラーとなり初のお立ち台に上がった。
翌10月21日にもスタメン出場でサヨナラヒットを放ち、連夜のサヨナラ打・お立ち台となった。
ちなみに、この2夜連続のサヨナラ劇は打者・山野辺翔、生還者・外崎修汰、勝利投手・増田達至、敗戦投手・益田直也と役者が全く同じという珍しいものだった。
このサヨナラ劇を機にラッキーボーイ的存在としてスタメン機会が増え、出場53試合、打率.233、4打点、5盗塁という成績で、シーズンを通して一軍に帯同した。
オフのみやざきフェニックス・リーグでは出場機会を増やすために外野手に挑戦した。
2021年もキャンプで外野手の練習に取り組んだが、オープン戦で外野を守ることはなく、前年と同様に主に代走要員として開幕を一軍で迎えた。
4月3日の福岡ソフトバンクホークス戦で外崎修汰が死球による骨折で離脱した後は二塁手として出場機会を得て、球団では17年ぶりとなる福岡での同一カード3連勝に貢献した。
4月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で一塁にヘッドスライディングをした際に左手親指を負傷。
強行出場を続けるも痛みが引かず4月10日に登録を抹消され、4月12日に左母指MP関節尺側側副靭帯修復手術を受けた。
全治3ヶ月の見込みだったが早い回復を見せて6月5日の二軍戦で実戦復帰、6月10日に一軍に復帰した。
ただこれは山田遥楓が胃腸炎で欠場したことによる緊急昇格であり、源田壮亮の復帰に伴い6月18日に登録抹消。
6月20日の二軍戦に2番中堅でスタメン出場するもスライディングキャッチを試みた際に左手首を負傷し再び長期離脱となった。
8月27日に実戦復帰を果たした。

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