正隨優弥, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3871753 / CC BY SA 3.0
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#大阪桐蔭高等学校出身の野球選手
#亜細亜大学硬式野球部の選手
#広島東洋カープ及び広島カープの選手
#広島市出身の人物
#1996年生
#存命人物
正隨 優弥(しょうずい ゆうや、1996年4月2日 – )は、広島県広島市南区出身(出生地は大阪府) のプロ野球選手(外野手)。
右投右打。
広島東洋カープ所属。
母方の祖父に当たる三原卓三 も元プロ野球選手(外野手)で、現役時代には広島カープに所属していた。
「正隨」は、日本国内における珍しい苗字の一つで、出身地の広島県内でおよそ10世帯にしか見られないとされる。
また、「隨」が旧字体であるため、登録上は「正随 優弥」という表記を用いている。
大阪府で出生した後に、幼稚園を卒園するまで府内で生活。
当時はサッカーに興じていたという。
実父の仕事の関係で、小学校へ入学する直前に、広島東洋カープの本拠地であるマツダスタジアムから徒歩圏内の地域へ転居。
広島市立比治山小学校1年時から軟式野球を始めると、広島市立段原中学校への進学後は、シニアリーグの広島鯉城シニアで投手兼外野手として活躍した。
中学3年時の途中までは、地元高校球界の強豪校である広陵高等学校への進学を志していた。
しかし、3年時(2011年)の夏に観戦した広陵高校硬式野球部創立100周年記念試合で、広陵が山足達也・藤浪晋太郎・澤田圭佑・森友哉などを擁する大阪桐蔭に大敗。
この試合をきっかけに、卒業後の進路を、出生地の大阪府内にある大阪桐蔭高校へ変更した。
ちなみに同校では、鯉城シニアの7学年先輩に当たる中田翔が、北海道日本ハムファイターズへ入団するまで硬式野球部の4番打者として名を馳せていた。
大阪桐蔭高校では、硬式野球部への入部後に野手へ専念すると、3年時(2014年)夏の第96回全国高等学校野球選手権大会に「4番・一塁手」として出場。
香月一也らとともに、チームの優勝に貢献した。
野球部での2学年先輩に藤浪晋太郎と澤田圭佑、1学年先輩に森友哉と中村和希、1学年後輩に青柳昴樹や福田光輝、2学年後輩に高山優希がいる。
高校からの卒業後に、後述する経緯で亜細亜大学へ進学。
東都大学野球のリーグ戦では、1年時の春季から出場すると、3年時の秋季に外野手としてベストナインに選ばれた。
在学中には、通算87試合の出場で、打率.260(261打数68安打)、9本塁打、34打点、10盗塁をマーク。
野球部での同期生に、頓宮裕真や中村稔弥がいる。
2018年のNPBドラフト会議で、広島から6巡目で指名。
契約金4,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で、祖父の三原に続いて同球団の選手になった。
背番号は49。
この会議では、亜細亜大学でチームメイトの頓宮・中村 に加えて、出身の大阪桐蔭高校硬式野球部から4人の選手(根尾昂・藤原恭大・柿木蓮・横川凱)が他球団から指名(いずれも後に入団)。
ただし、同部出身の選手が広島へ入団した事例は、OBを含めても正隨が初めてである。
2019年には、ウエスタン・リーグ公式戦でチーム2位の105試合へ出場し、リーグの規定打席へ到達。
6本塁打を記録したが、打率は規定打席到達者で最も低い.208で、一軍への昇格は見送られた。
2020年には、春季キャンプ前の1月に中田との合同自主トレーニングへ参加し、春季キャンプからオープン戦の途中まで一軍に帯同。
レギュラーシーズンの開幕一軍入りには至らなかったものの、ウエスタン・リーグの公式戦では、打率ランキングで一時10位以内に名を連ねていた。
9月8日に地元のマツダスタジアムで催された対東京ヤクルトスワローズ戦6回裏に、代打で一軍公式戦にデビュー。
9月18日に明治神宮野球場で開かれた同カード7回表に、一軍公式戦での初本塁打を代打ソロ本塁打で記録した。
2021年は、開幕一軍を逃したが、ウエスタン・リーグでは26試合に出場し、4本塁打、18打点。
リーグ2位となる打率.313の成績を残し、5月4日に一軍へ昇格した。
5月17日に、球団は正随優弥、菊池涼介、小園海斗の3選手が新型コロナウイルスの陽性判定を受けたと発表した。
無症状で体調に異常はなく、自宅待機となっている。
5月18日に、「感染拡大防止特例2021」に基づき抹消された。
大阪桐蔭高校・亜細亜大学で打線の主軸を務めた右打ちの長距離打者。
目標の選手は新井貴浩で、正隨とは「広島県の出身」「東都大学リーグ加盟校からのドラフト6位指名を経て広島へ入団」「右の長距離砲」といった共通点がある。
本人も、…
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