楠本泰史, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3773299 / CC BY SA 3.0

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楠本 泰史(くすもと たいし、1995年7月7日 – )は、大阪府吹田市出身のプロ野球選手(外野手)。
右投左打。
横浜DeNAベイスターズ所属。
大阪府吹田市で出生。
小学1年生の終わりに岡山県へ転居すると、実父の影響で、小学4年生から野球を始めた。
小学6年時に神奈川県横浜市へ転居し、転校先の横浜市立山内小学校で松井裕樹と出会う。
横浜でも野球を続けようとしていた楠本は松井から「俺らとやろうよ」と誘われ、松井が当時所属していた元石川サンダーボルトに入部。
その後松井に「セレクションを一緒に受けよう」と言われ、横浜ベイスターズ(当時)のジュニアチームを受験。
二人とも合格し、この年のNPBジュニアトーナメントに出場している。
なお横浜市立山内中学校に進学後も、松井とは青葉緑東シニアでともにプレー。
3年夏には日本リトルシニア野球選手権大会で日本一に輝いた。
花咲徳栄高等学校に進学後は1年秋から内野手としてベンチ入り。
入学当初は「打球が外野の頭を越えることがなかった」が、監督の岩井隆の元でミート力を磨きレギュラーに定着。
2年秋には野球部を県大会優勝、関東大会準優勝に導いた。
3年春には第85回記念選抜高等学校野球大会に出場。
初戦の岐阜商戦で3番遊撃で先発するも無安打に終わり、チームも初戦敗退した。
その後の県大会も予選敗退し、夏の甲子園には出場できなかった。
同学年には若月健矢がおり、楠本自身も当時からプロ志望であったが、若月の存在や岩井の助言もあり大学進学を決意、東北福祉大学へ進学する。
東北福祉大学へ進学後は、1年春からレギュラーで仙台六大学野球のリーグ戦に出場。
4年間でリーグ通算99安打を打ち、最優秀選手賞と打点王2度、本塁打王、首位打者を1度獲得。
また大学代表にも通算3度選出され、第41回日米大学野球選手権大会や第29回ユニバーシアード競技大会では4番を務めた。
大学時には右肩を痛め、一時は一塁や指名打者として出場することもあった。
また強肩を活かすため、4年次に内野手から外野手へ転向している。
2017年のNPBドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから8巡目で指名。
支配下登録選手としての契約を前提に指名された全82選手のうち、81番目の指名であったが、後に契約金2,500万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は37。
2018年、春季キャンプから一軍に入ると、オープン戦初戦の2月24日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦では、この年の新人選手としての初本塁打を戸根千明から打つ。
以降のオープン戦も好調で、11試合の出場で打率.533(15打数8安打)、2本塁打という好成績を残し、同期入団の新人選手から神里和毅・宮本秀明と共に開幕一軍入りを果たした。
3月30日の東京ヤクルトスワローズとの開幕戦(横浜スタジアム)5回裏に、石田健大の代打で公式戦デビュー。
4月5日の対阪神タイガース戦2回戦(阪神甲子園球場)で公式戦初のスタメン出場(7番・右翼手)を果たすと、以降3試合でスタメン起用された。
しかし、スタメン4試合目だった4月14日の対中日ドラゴンズ戦(横浜)で、5回裏に四球で出塁後、次打者の嶺井博希が放った打球(右飛)の判断を誤り、一塁に戻れずにタッチアウト。
7回表の守備から交代させられ、試合後に登録抹消となった。
監督のアレックス・ラミレスは、「楠本に安打は出ていないが、スランプとまでは思っていなかった。しかし、走塁ミスを犯していては、試合の流れを相手チームに渡しかねない。野球は流れが重要なので、流れを相手に渡さないために交代した」と説明した(試合は2-0でDeNAが勝利)。
約1ヶ月半後の5月31日に再び一軍に昇格すると、「2番・右翼手」でスタメン出場した6月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で、一軍公式戦初安打(3回表・右前安打)と初の長打(9回表・右越二塁打)を打った。
一軍公式戦全体では、56試合の出場で、打率.205、2打点、2盗塁を記録した。
2019年、オープン戦で12球団トップの打率.388(49打数19安打)を記録し、2年連続で開幕一軍入り。
レギュラーシーズン開幕戦の3月29日、…

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